ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/627/

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

(英語) 僕が子供の頃受けた扱いを恨んでいるか、ですか?僕が5、6年生の頃、ある人にいじめを受けました。数年経って高校を卒業する頃には、そいつはいやな奴だってことははっきりしてて、みんなもわかってることだったんです。だから、恨んでるか?と聞かれれば、恨んでません。

実際僕が遭遇した人種的な衝突のほとんどは、ロサンゼルスに引っ越してからなんですよ。東海岸には白人と黒人の間に根本的な憎悪のようなものがあるのですが、ロサンゼルスでは皆に対してそうなんですね。皆が互いに憎み合ってるんですね。だから同時に...よくわかりませんが、ロサンゼルスではギャングとかグループに所属していても、それは必ずしも人種ベースではないんです。でも東海岸では全てがゲットー化(人種・民族ごとに居住地が分かれていること)されていて、白人の地域とか黒人の地域というように、はっきり分かれていたんですね。今はアジア系、メキシコ系の地域もあって、わかりやすいんですよ。でもロサンゼルスではいろんな人種が混ざり合ってますよね。

僕は高校生の頃、ギャングメンバー達とつるんでたのですが、そのギャンググループも人種ベースではなくて、住んでいる地域で構成されてました。僕はガーデナ・ホーソンのギャンググループに所属していました。メンバーはほとんどがサモア系かフィリピン系で、数人のメキシコ系と、黒人とアジア系も何人か居ました。たぶん僕が恨んでいたのは他でもなく、日系アメリカ人だったと思います。その頃は彼らに対していつも憤りを感じていましたね。なぜかはわかりませんけど。


差別 Finding Home(映画) アイデンティティ 対人関係 人種差別

日付: 2003年9月12日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

2世の母と3世の父を持つビンス・オオタは、ニューハンプシャー州に生まれました。オオタ一家はロサンゼルス、ニューヨーク、ミネアポリス、ロンドンと転々とした後、メリーランド州ゲイザースバーグに落ち着きました。メリーランド州の小さな町で育ったため、アジア系アメリカ人との交流は少なく、夏にロサンゼルスにいる親戚と過ごすくらいで、自分の環境をアメリカの『純粋な白人』のものであったと述べていました。その後、西海岸へ移り、コミュニティカレッジへ入学。その後はCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学)へ進学しました。ロサンゼルスで7年間クリエイティブデザイナーとして働いた後、1996年に渡日しました。以来日本に住む彼は、インタビュー当時、クリエイティブデザイナーとして活躍しており、今後の日本在住意思を示していました。(2003年9月12日)

バーバラ・カワカミ

兵士たちを手助け (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

沖縄出身者への差別 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

ユリ・コチヤマ

病院に入った戦時捕虜としての父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

愛国心 VS. 忠誠心(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

PJ・ヒラバヤシ

子供のころ体験した差別(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

PJ・ヒラバヤシ

太鼓から感じる力強さ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

太鼓を通して感じ一世と三世のつながり(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ユリ・コチヤマ

一世と二世の一斉検挙(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

アン・K・ナカムラ

アメリカのイメージ(英語)

ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。

ボブ・キヨシ・オカサキ

子供時代の日本の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

PJ・ヒラバヤシ

多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ボブ・キヨシ・オカサキ

外からみた母国アメリカ(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

ボブ・キヨシ・オカサキ

日本の妻の家族(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

竹下幸男

日本人市民としての意識の欠如(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)