ディスカバー・ニッケイ

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父方と母方の家族関係 (英語)

(英語) 事実、父方と母方の家は父と母が結婚する前から姻戚関係にありました。市長であった母のおじと、父の姉が結婚していたからです。父の家族がそろそろ父も結婚してもいい時期だろうと考えはじめた時、父はすでに(家を出て)シアトルにいました。シアトルに(1人で)7年ぐらい住んでいたのではないでしょうか。だから家族ももうそろそろ結婚した方がいいと考えたのでしょう。そこで母方の家族に誰かいないかと探して、私の母が選ばれました。そして母は「写真花嫁」としてこちらにやって来ました。前にも申し上げましたが、両方の家族はすでに姻戚関係だったので・・・こういうことは日本ではよくあったんです。姻戚関係を結ぶと多くの義務や責任が生じますので、あまりにも沢山の姻戚関係を結ぶと負担になります。それですでにある姻戚関係を更に強める傾向にあったのです。


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日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

阪根 博

戦後ペルーへ戻った理由

天野博物館事務局長(1948年生)

ハルノリ・オダ

渡米の決意(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

アメリカ生活の始まり(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

事業の拡大(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

人生哲学(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

大友 八郎

アメリカで直面した偏見

溶接業を営む新一世(1936年生)

上杉 武夫

渡米を勧めてくれた父(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

トム・ユキ

カリフォルニア州サリナスに移民として渡った家族(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)