インタビュー
戦後ペルーへ戻った理由
戦後は、サンフランシスコ講和条約前にですね、その時にもう戦争に負けた日本を見て、天野はもうひどく落胆するわけです。もう戦争、終戦直後の東京の焼け野原を見てですね、これはもう自分の目の黒いうちに、もう一世紀か二世紀ぐらいは、日本はもう足腰が立たないだろうと。もう日本という国は、えー、自分が生きている間には、もう二度と復興することはないに違いないということで。それならば、自分で、あのー、勝手知ったる中南米に、もう一回戻ってですね、ま、おもしろおかしく残りの人生を過ごしたいということで。
えー、実はあまり誉めた話じゃないんですが、パスポートを戦前スパイ容疑で、FBIから徴集を受けてますし、そのスパイ容疑というのはずっとその時もまだ嫌疑がかかってるわけですから、サンフランシスコ講和条約前ですから、とてもじゃないですけどパスポートを発行してくれるはずもなくてですね。 いろんな手を使って、彼は、パスポートを持たずに、パナマまでやってくるんですね。でもこれは実におもしろい話なんですけども。ま、いずれにしても、その当時、たまたま、えーその天野を身分保障をして引き受けてくれるのは、ペルーの漁業関係のその友人が引き受けてくれたということで、彼はペルーに戦後やってくるわけです。
日付: 2007年5月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター