https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1645/
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人
(英語)両親との会話から分かるのは、二人は常に(沖縄とペルーの)両方を自認していて、間違いなくペルー系沖縄人だということです。沖縄文化にはたくさんの機微があり、例えば日本人や沖縄人にとって先祖に敬意を払うことは重要なことで、私の家族は今でも線香をあげたり、墓参りにも行きます。祖父の一番上の兄が亡くなった時、祖父は80代になっていましたが、それでも伝統に則った適切な方法で埋葬されるのを見届けるため、ペルーへ行きました。
私の両親も、家族や先祖に敬意を払うことを深く信じていますが、それと同時にヤマシロ家のパーティに来れば、サルサ音楽や大きな笑い声、喜びに満ちた音が部屋中に溢れています。ステレオタイプのある人が抱く、日本人や沖縄人の静かなイメージとは違うでしょうね。とはいえ、音楽がしっかり根付いている沖縄文化と、音楽が同様に深く根付いているラテン文化には重なる部分があり、それは共通点でもあります。
大きなパーティの終わりには、カチャーシーを踊る両親の姿も見られます。いつも同じ曲、同じ何曲かが流れ、みんな立ち上がって(手をふりながら)こんな風に踊るんです。みんなで踊りながら動き回ります。この他にもパーティでは伝統的なペルー音楽、ペルー先住民族のインカ音楽も演奏しています。
このように私の両親には確実に両方の文化があると思います。弟も私も成長し大人になり、いまでは両親も”アメリカ文化”も取り入れている感じですね。とても興味深いことだと思います。年齢を重ねるにつれて、両親がこれまでどのようなことにカルチャーショックを受け、何を受け入れてきたのか、いろんな話ができるようになったことをとても興味深く感じています。私の両親は、複数の文化が混在する環境に慣れているので、多様な文化を素直に受け入れることができるし、文化が変化することも知っているんです。
日付: 2018年8月30日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: シャーロン・ヤマト
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
(日本語)カリフォルニア州ガーデナ育ち。両親は、ペルーの日系および沖縄系コミュニティで育ち、後に米国へ移住したリマ出身の移民。こうした多様な背景を持つヤマシロさんは、これまでさまざまな文化的伝統が混ざり合う環境に触れてきた。北米沖縄県人会に所属し、沖縄とペルーを訪れた経験がある。教員免許を取得したが、ガーデナバレー日系文化センター(GVJCI)での活動機会を得て、非営利の仕事に転向し、GVJCIおよび北米沖縄県人会でボランティア活動をしている。(2018年8月)
「ニッケイ」の定義(英語)
日系カナダ人フォトジャーナリスト、活動家 (1941 - 2018年)
いくつかの生い立ちを持ったユニークなアイデンティティ(英語)
フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)
正統派の寿司を広めることの難しさ
寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)
寿司の食べ方を教える
日系人としてハワイで育つ(英語)
ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)
日本人でもありアメリカ人でもある(英語)
音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生)
両親は新一世(英語)
詩を通して自分を表現(英語)
帰米二世、詩人、活動家(1923年生)
戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)
日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)
アメリカで両親と再会する(英語)
広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)
核兵器についての考え(英語)
ペルーから米国へ強制連行(英語)
クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)
エスコバールについて(スペイン語)
日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)
ニッケイの定義(英語)
米国在住の日系コロンビア人(1974年生)
ペルーでの子供時代の思い出(英語)