ディスカバー・ニッケイ

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二世ウィークで故郷青森のねぶたを披露

やっぱり長年アメリカに居ますと故郷、まあ、日本も思いますけど、ふるさとというのは非常に思い出すもので、自分のこういったものをアメリカでやれたらいいなという思いがあって、非常に「ねぶた」に惹かれました。そして、この「ねぶた」というものを2007年からある企業が出してくれたんですけど、その後もう終わるってことで、私たちがこの2008年からそれを引き継いで、「私たちに譲ってください」と企業から譲り受けて「ねぶた」をスタートさていただきました。

その当時でこういったものを日本で作って持ってきまして、これをこちらで組み立てて、二世ウィークのパレードに青森の本物の「ねぶた」をパレードで引っ張って皆さんに見せたというのが非常に感激され、また涙を出され、私も懐かしさで涙を出させていただきましたけど、そういったことがありまして、毎年毎年やりましょうということで始めさせていただきました。

 


青森市 青森県 カリフォルニア州 文化 フェスティバル 日本 日系アメリカ人 ロサンゼルス 祭り ねぶた 二世週祭(イベント) アメリカ合衆国

日付: 2016年4月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1949年8月21日、青森県に生まれる。1962年16歳で上京し、夜学へ通いながらすし屋に住み込みをし、板前の修業をする。その後、三長会という調理師組合に入り、数々のすし屋を転々とする。1973年、ロサンゼルスの東京會舘という店と3年契約をして渡米。契約終了後、一時帰国するが、その後も東京會舘から声がかかり、再び3年契約を結んでロサンゼルスへ来る。契約終了後、アメリカへ残ることを決め、1980年にロサンゼルスのリトル東京に「鮨元」を開店。また南加青森県人会の創設にも尽力し、ロサンゼルスにおける日系人コミュニティの発展に貢献しているほか、2007年には初代ねぶた囃子保存会会長を務めるなど、アメリカにおける日本文化継承活動に力を注いでいる。2015年、在ロサンゼルス日本国総領事館より総領事表彰を受賞した。(2018年5月)

エーシー・コオロギ

野茂が後続の日本選手に与えた影響(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

エーシー・コオロギ

ウォルター・オマリーの哲学(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

タカヨ・フィッシャー

両親への愛情を初めて表現した時のこと(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)

モニカ・タイシャ―

コロンビア人としての認識、日本人よりは日系アメリカ人に親近感(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

日本の文化と日本語に触れて育つ(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ミア・ヤマモト

キャンプから戻った後のメキシコ文化の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

マサオ・コダニ

二世にとってのパフォーミング・アーツ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

ウェイン・ヨコヤマ

唯一の日本文化:食べ物(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

ロジャー・シモムラ

日系アメリカ人コミュニティの生活(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

戦後の再出発と日本的要素の否定(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

飯野正子

在日日系人と日本社会

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

日系人社会の中心だったEast First Street (英語)

作家(1934年生)

モニカ・小木曽

日本で外国人としていることの楽さ(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長