ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1413/

野茂のリスク(英語)

(英語)彼は、日本で大金を稼げる選手だったんですよ。日本に居続けさえすれば、たとえ違うチームに移籍したとしても。それでも彼は、全てを賭けてアメリカに来ました。英語もほとんど話せませんでしたし、ピッチングコーチとはどうやって会話していたのでしょう。それでも野茂は、自分自身に、そして日本野球にも挑戦したかったのでしょう。もしかすると彼は、アメリカの野球ファンは日本野球を見下していると思っていたのかもしれません。

ですから彼には、証明しなければならないことが2つありました。野茂英雄は成功するという証明、そして日本野球だって本当は素晴らしいんだぞ、という証明です。彼は、2つの大きなプレッシャーを抱えていました。

彼の投球スタイルは、もちろん皆覚えています。とにかくすごく変わっていましたから。確か誰かがトルネード投法と名付け、大勢の若い野球選手やリトルリーグの子供たちが真似したんですよね。本当に素晴らしいことだと思いました。


野球 放送 野茂英雄 日本 日本放送協会 NHK(企業) 日本放送協会 (Nihon Hoso Kyokai) アメリカ合衆国

日付: 2013年12月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: マーク・ランギル

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マーガレット・ナルミ氏は、カリフォルニア州サンタモニカのNHKコスモメディアアメリカで20年以上に渡りプロデューサーを務め、野茂英雄、松井秀喜、ダルビッシュ有といった日本選手が出場するメジャーリーグ試合の日本向け番組を製作しています。ディスカバー・ニッケイによる当インタビューは、英語と日本語で行われ、全米日系アメリカ人博物館で開催された「ドジャース:ゲームの同志」展の野茂英雄に関するドキュメンタリーの一部として収録されました。(2014年9月)

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