ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1171/

日系二世の医師が受けた差別 (英語)

(英語) このことは定かではありませんので、ご自分で調べていただいた方がいいと思いますが・・・当時の日系人は、たとえ医学部を卒業していたとしても、彼らをインターンとして雇ってくれる病院は多くありませんでした。そしてインターンになれたとしても、月50ドルくらいしか支払われませんでした。私が知る限りではそれくらいの金額でした。誰もが「そんなはした金で!」って思っていましたよ。所得レベルとしては最低ですから、話になりません。それこそ、「ジャップ」に与えられるチャンスなんてそんなものだ、と言われているような気がしました。でも、かなりの人数の二世医師が、大学を首席で卒業していたと思います。ただ、雇用のチャンスも役員に選出される機会もほとんど無かったのです。


差別 世代 病院 インターンシップ 対人関係 日本の病院 二世

日付: 2009年9月21日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、マルサ・ナカガワ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

フランセス・ミドリ・タシロ・カジさんは、1928年4月30日生まれの日系二世です。カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、ロサンゼルス郊外のガーデナで育ちました。彼女の父は、ボイル・ハイツ地区で医師として重要な役割を担っていました。第二次大戦中はアリゾナ州ポストンの強制収容所に収容され、出所後、一家はテンサイ農場で働くためコロラドに移り住みました。その後一家はロサンゼルスに戻り、彼女の父は再び医師として仕事を再開しました。フランセスは、2016年に88歳で亡くなりました。(2020年4月)

サカエ・シゲカワ

強制収容以前に経験したトラウマ (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

サカエ・シゲカワ

サンタ・アニタ強制収容所医療チームへの参加 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

サカエ・シゲカワ

未婚を貫く (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

サカエ・シゲカワ

「みんな、盲従した」 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

ドリス・モロミサト

移民の苦労神話(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ヨシコ・イノセ

日本人病院の閉鎖 (英語・日本語)

羅府新報創設者の娘(1908年生)

マーガレット・クロイワ

日本人病院と両親 (英語)

一世医師の娘

スミコ・コザワ

戦後の差別の経験 (英語)

花屋 (1916-2016年)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士