ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1050/

今日の日系人(スペイン語)

(スペイン語)日系人とは、という表現は1980年代後半頃からよく使われるようになり、みんなが使うから普及したのです。日本以外の日本人の子弟、子孫をそう位置づけているのですが、もっと興味深いのは大学や学会、またはセミナーなどでもどのように使われているかなのです。一般社会でも使うようになったのですが、ただコミュニティーの中でみんなが使っているわけではないのです。最も普及している言葉が「ポンハ ponja(日本人というスペイン語「japonés」の音節を逆にした方法で発音した俗語、軽蔑する意味ではないが、地元の人が日本人や日系人のことを指す際よく使う言葉)」です。また、「ロス・デル・オホ los del ojo(目の人、目が斜めであるという意味の人を指すことである)」という言葉もありますが、これらと区別するために「nikkei 日系人、ニッケイジン」が生まれたのです。日系人自らこの表現を定着させたのです。10年ぐらいで、自分たちのことを「nikkei 日系」と呼ぶようになったのです。そういう面では、我々はとても吸収力の早い文化圏の人だと思います。そして、この日系というのはその血縁的な生物学的要素を超えるのではないかと思います。 いずれは、「日系 nikkei」とは、ある特徴のある人を指す分類(カテゴリー)になるのではないかと思えるのです。例えば、勤勉な人、団結力のある人などを指して。ペルーではよく、"trabaja como negro" (直訳すると黒人のように働く(以前の奴隷を連想させて))とか、"fuma como chino en quiebra"(破産した中国人のようにタバコを吸う(そうした状況の中イライラと不満でたくさんタバコを吸うという意味で))という言葉が使われます。それと同じようにいずれはもしかすると "parece nikkei"(日系人のようだ)ということを「よく仕事する人、うるさくなくあまり抗議しない人」を指す意味で使われるようになるかも知れません。


ハワイ アイデンティティ 日系アメリカ人 日系 アメリカ合衆国

日付: 2008年2月26日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

ドリス・モロミサト・ミアサト氏は、1962年ペルー、リマの農村部であるチャンバラで生まれました。法学と政治学の学位を取得し、国立サンマルコス大学を卒業しました。

ミアサト氏は、詩集、『Morada donde la luna perdió su palidez』(1988年)、『Chambala era un camino』(1999年)、『Diario de la mujer es ponja』(2004年)、『Paisaje Terrestre』(2007年)を出版し、2006年には、書籍、『沖縄 : ペルーにての1世紀』を出版しました。ミアサト氏の詩やショート・ストーリー、エッセイ、記事は、様々な選集に収められており、多言語に翻訳されています。

ミアサト氏は、自らをエコロジスト、フェミニスト、仏教徒であると語ります。2006年、沖縄県は、ミアサト氏を親善大使に任命しました。最近では、ディスカバー・ニッケイ・ウェブサイトのコラムニストも務め、2005年からは、「Cámara Peruana del Libro」の文化担当としてブックフェアを開催してきました。(2008年2月26日)

Roy Hirabayashi
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ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

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Jero  (Jerome Charles White Jr.)
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ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

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Art Shibayama
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アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

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Mónica Kogiso
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モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

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Peter Mizuki
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ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Mónica Kogiso
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モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

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Jero  (Jerome Charles White Jr.)
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ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

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Fujima Kansuma
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藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

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Jero  (Jerome Charles White Jr.)
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ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

日本へ行くこと(英語)

演歌歌手(1981年生)

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Aiko Yoshinaga Herzig
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アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

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Jero  (Jerome Charles White Jr.)
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ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

歌詞の意味を伝えたい(英語)

演歌歌手(1981年生)

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Kenny Endo
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ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

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Vince Ota
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ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

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Seiichi Tanaka
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田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

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