(スペイン語)日系人とは、という表現は1980年代後半頃からよく使われるようになり、みんなが使うから普及したのです。日本以外の日本人の子弟、子孫をそう位置づけているのですが、もっと興味深いのは大学や学会、またはセミナーなどでもどのように使われているかなのです。一般社会でも使うようになったのですが、ただコミュニティーの中でみんなが使っているわけではないのです。最も普及している言葉が「ポンハ ponja(日本人というスペイン語「japonés」の音節を逆にした方法で発音した俗語、軽蔑する意味ではないが、地元の人が日本人や日系人のことを指す際よく使う言葉)」です。また、「ロス・デル・オホ los del ojo(目の人、目が斜めであるという意味の人を指すことである)」という言葉もありますが、これらと区別するために「nikkei 日系人、ニッケイジン」が生まれたのです。日系人自らこの表現を定着させたのです。10年ぐらいで、自分たちのことを「nikkei 日系」と呼ぶようになったのです。そういう面では、我々はとても吸収力の早い文化圏の人だと思います。そして、この日系というのはその血縁的な生物学的要素を超えるのではないかと思います。 いずれは、「日系 nikkei」とは、ある特徴のある人を指す分類(カテゴリー)になるのではないかと思えるのです。例えば、勤勉な人、団結力のある人などを指して。ペルーではよく、"trabaja como negro" (直訳すると黒人のように働く(以前の奴隷を連想させて))とか、"fuma como chino en quiebra"(破産した中国人のようにタバコを吸う(そうした状況の中イライラと不満でたくさんタバコを吸うという意味で))という言葉が使われます。それと同じようにいずれはもしかすると "parece nikkei"(日系人のようだ)ということを「よく仕事する人、うるさくなくあまり抗議しない人」を指す意味で使われるようになるかも知れません。
ミアサト氏は、詩集、『Morada donde la luna perdió su palidez』(1988年)、『Chambala era un camino』(1999年)、『Diario de la mujer es ponja』(2004年)、『Paisaje Terrestre』(2007年)を出版し、2006年には、書籍、『沖縄 : ペルーにての1世紀』を出版しました。ミアサト氏の詩やショート・ストーリー、エッセイ、記事は、様々な選集に収められており、多言語に翻訳されています。
ミアサト氏は、自らをエコロジスト、フェミニスト、仏教徒であると語ります。2006年、沖縄県は、ミアサト氏を親善大使に任命しました。最近では、ディスカバー・ニッケイ・ウェブサイトのコラムニストも務め、2005年からは、「Cámara Peruana del Libro」の文化担当としてブックフェアを開催してきました。(2008年2月26日)