手をつけなかったオニギリ
2012年3月14日午後7時、ロサンゼルス郊外にある映画館AMCトーランスの1館は、満席の盛況だった。上映作品は「Pray for Japan」。東日本大震災のその後、2011年の4月から5月にかけて被災地で撮影されたドキュメンタリー映画だ。
上映に先駆けて、友人からメールが届いた。それには「収益全額が被災地に送られる」と書いてあった。これは是非多くの人に見てもらわなければと、ありったけの友人知人に私はすぐにそのメールを転送した。すると私が無知なだけだったのか、「行く予定にしている」や、日本語雑誌の編集者からは「既に告知のコーナーに取り上げた」などの嬉しい返事が届いた。そうなると自分の座席が心配になったので、すぐさまインターネットでチケット確保をしたのだった。
映画は4つのパートから構成されている。避難所、学校、家族、そしてボランティア。ある避難所の所長は「地震が起きてから3日間は飲まず食わずだった。避難所には1100人の人が詰めかけた。4本の飲料水のペットボトルが見つかった。私たちはお年寄りや身体が衰弱している人にだけ、その水を飲ませた。他の人は皆我慢した。その後に300個のオニギリが届いた。しかし、それでは皆に公平に分け与えることはできない。私たちは話し合った末、せめて1個のオニギリを半分に分けて皆で食べられるようになるまで待とうという結論を出した。そして、その300個に手をつけなかった」と当時のことを振り返る。
これまでの人生で、日本という先進国に暮らしながら、3日も何も食べられないという生活を彼らは想像したことさえなかっただろう。しかし、それは実際に起こったことなのだ。そして、公平を重んじる精神と忍耐力で彼らは最初の苦難を乗り切った。
天国の弟に鯉のぼりを
町自体が壊滅した雄勝町の中学校の校長。「悲劇は卒業式の2時間後に起こった。生徒が下校した後だったので、全校生徒の安否を確認するのに手間取った。何もない中、手書きで全校生徒のリストを作成し、生存が確認できた者にチェックを入れていった。そして奇跡的に全員が生存していることがわかった時、私には感動以上の感情が込み上げた。一人で万歳した」
幸いなことに生徒たちは無事だったが、家族を亡くした生徒も少なくなかった。校長は「私たちは家族だ。皆でこの苦難の時期を乗り切っていきたい」と話す。
仮校舎での入学式、新入生代表の男子が「あの日、私は多くのものを失った。母を亡くしたことを知った時…」と挨拶で述べた時、もうそれだけで流れる涙を止めることができなかった。今、思い出すだけでも過酷な真実に向き合う健気な男子の姿に、胸に込み上げてくるものがある。
18歳の伊藤健人くんは、押し寄せてきた津波で家と、祖父母、母、まだ5歳だった末の弟のリツくんを失った。家の周囲は瓦礫の山。家は骨組みだけが辛うじて残ったという惨状だ。
健人くんは避難所の掲示板で、父と真中の弟が助かったことを知った。しかし、彼が失ったものはあまりにも大きい。母親が亡くなって喪失感と悲しみに襲われているはずだが、それでも彼は小さな弟へ心を寄せた。そして天国のリツくんに見えるようにと、子供の日にたくさんの青色の鯉のぼりを集めて空高く掲げたのだった。
その鯉のぼりの下で、健人くんは和太鼓を演奏した。天国にいる家族に届くように、自分の悲しみを吹き飛ばすように力強く叩き続けたのだった。
映画の完成もボランティアの力で
被災地に集まったボランティアもまた多彩な顔ぶれだった。国内各地から人々は自費で東北に駆けつけた。ある人は食事を提供し、ある人は建物の中に流れ込んだ汚泥をかき出す作業に汗を流した。
印象的だったのは、名古屋からのパキスタン人の男性たち。彼らは悲劇に居ても立ってもいられず、一人の男性などは生後まもない女児と別れてボランティアするためにやって来ていた。本場のカレーやナンで被災者たちに温かい食事を振る舞う彼らに、避難所の人々も歌や作文で感謝の気持ちを表した。パキスタン人の彼らは自分たちの膨大な時間やお金を被災者のために費やした。しかし、その見返りに得たものは、お金では決して買えない大切な何かだったはずだ。
そして、この映画自体もボランティアによって完成した。監督のスチュー・レヴィ氏は、日本の漫画をアメリカに紹介した第一人者。日本滞在中に東北の地震が起こり、他のボランティア同様に何か自分にできることがあれば、とレヴィ氏も現地に駆けつけた。その後、彼がたった一人で現地の様子を撮影した膨大なフィルムを編集したのもボランティア、音楽をつけたのもボランティア、さらにナレーションを担当している仙台出身の女優、鈴木京香や主題曲を提供したミュージシャンの奥田民生もギャラなしで参加した。
さらに、私がこの映画の存在を知ったのも、友人からのメールと、宣伝まですべてボランティアで成り立っている。上映後にレヴィ氏本人が言ったように、この作品はまさに「草の根映画」である。
AMCの協力で、全米16都市で公開が決定している同作品だが、レヴィ氏は「学校や教会など、人々が集まる所で是非上映を実施していきたい」と、少しでも多くの人の目と心に東北の真実が届くように、活動を続けていく抱負を語った。
今回の体験を通じて、「自分には悩みがあったが、被災地の人々の奮闘を見ていたら、自分の悩みなど何でもないと思うようになった」とレヴィ氏は言う。それだけ、東北の人々を襲った困難は想像を絶するものなのだ。アメリカに在住しているとはいえ、その事実を知らなかった自分を恥ずかしく思うと同時に、それを映画で伝えてくれたレヴィ氏と多くのボランティアに感謝した。映画を見たい、または上映したいという人は是非、下記のウェブサイトを参照してほしい。
© 2012 Keiko Fukuda