Material contribuído por Hiraharito
日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第10回 尾座本導のサンデー毎日放送とラジオ小東京
Tetsuya Hirahara
1940年2月8日に加州毎日放送(第5回参照)での最終放送に臨んだ尾座本導は、番組降板とほぼ同時にガーデナ平原日本人会の幹事に就任した。しかし、ラジオへの情熱は絶ち難かったと思われ、「サンデー毎日放送協会」を設立してラジオ界に復帰した。
日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第9回 羅府日本人合同教会の日曜文化放送
Tetsuya Hirahara
羅府日本人合同教会(合同教会)は羅府日本人組合教会、羅府長老教会および日本人ベツレヘム組合教会の3教会が合併して1918年2月に発足した教会である。
日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第7回 歯科医ドクター・コーエン提供の日本音楽放送
Tetsuya Hirahara
ロサンゼルスで歯科医院を経営するドクター・コーエンがスポンサーとなり、ロサンゼルスのKTM局で日本語放送が3期にわたり放送された。コーエンは移民社会の顧客を取り込むことに熱心な歯科医で、ロサンゼルスやメキシコ国境のラジオ局において多数の宣伝や番組提供を行っていた。ヒスパニック向けには「スペイン語を話します」と売り込み、邦字新聞紙では「日本人看護婦が出勤しております」などと宣伝し、低価格でのサービスを売り物にしていた。
日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《バンクーバー・戦前編》
第1回 日本語放送前史
Tetsuya Hirahara
カナダで初めて日本音楽がラジオで流されたのは、1925年2月のことと考えられる。当時日本の帝国海軍は毎年のように練習艦隊を海外に派遣し、遠洋航海の実地訓練をしながら、寄港地においては親善活動を行っていた。1924年11月に横須賀を出港した八雲、浅間、出雲の三艦はメキシコとアメリカを経て翌年2月にバンクーバーに投錨した。2月11日の20時からドリル・ホールで、内藤清五楽長が率いる軍楽隊とカナダ第七大隊軍楽隊が参加した演奏会が開催された。この模様がCFYC局より生中継され、「カルメン」、「ウィリアムテル」、「アイーダ」、「君が代」、「軍艦マーチ」が流されたと報じられている。
日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第5回 加州毎日放送
Tetsuya Hirahara
1932年7月、ロサンゼルスは地元で開催中のオリンピックで沸いていた。しかし、アメリカでは放送権料に関する合意に至らず、競技が国内向けにラジオ中継されることはなかった。新聞屋として速報を伝えるべく、『加州毎日』(加毎)は試合の行われるスタジアムからリトル東京のサンピドロ(サンペドロ)街にあるミツバ貿易商会に電話をかけ、毎日午後2時からその店頭で音声を流すことにした。加毎による有線放送の試みである。