ディスカバー・ニッケイ

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ニッケイ物語 7—ニッケイ・ルーツ:私たちの文化の足跡をたどる


2018年6月8日 - 2018年10月26日

これまでの「ニッケイ物語」シリーズでは、食、言語、家族や伝統など、日系人特有のさまざまな文化を探求してきました。今回は、ニッケイ文化をより深く、私たちのルーツまで掘り下げました。

ディスカバー・ニッケイでは、2018年5月から9月までストーリーを募集し、全35作品(英語:22、日本語:1、スペイン語:8、ポルトガル語:4)が、アルゼンチン、ブラジル、カナダ、キューバ、日本、メキシコ、ペルー、米国より寄せられました。このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。

お気に入り作品はこちらです!

 編集委員によるお気に入り作品:

  ニマ会によるお気に入り作品:

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遺産 (legacies) ニッケイ物語(シリーズ)

このシリーズのストーリー

日経をキャッチ

2018年7月10日 • キラ・マツノ

冷たい海風に吹かれてうねる波の上で前後に揺れ、両手を釣り竿にきつく握りしめたままよろめきながら歩くと腕が焼けるように熱くなる。釣り糸の先で魚に引きずられて船の向こう側にいる。この魚を逃がさないように集中するが、サメかと思うほど強く引っ張られる。リールに糸を巻き取るたびに、魚は沖へとさらに引っ張られる。この魚と40分間行ったり来たりした後、ようやく水面近くにいるのが見えた。乗組員の一人が魚にギャフをかけて、水から魚を船に引き上げた。重さは98ポンド!陸揚げできてほっとした。腕…

中華料理

2018年7月2日 • マルタ・マレンコ

私の父は、20 世紀の最初の 10 年に東からアルゼンチンにやって来ました。当時、日本は現在のような世界大国として目立った存在ではありませんでした。彼は戦争が絶えない国から逃れてきた貧しい移民であり、下層階級を無視する封建領主に支配された拡張主義者だった。それが、彼が寛大で、当時でさえ移民に対して非常に寛容だった私たちの国に自発的に恋に落ちた理由かもしれません。父がイタリア系の母と結婚したとき、二人とも私たちの毎日の食事に独自の味をもたらしました。母がこねたものほどおいしい…

パラナの「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」の伝統行事『餅つき』

2018年6月25日 • アルバ・シオコ・ヒノ , ニルザ・マキコ・イワクラ・オカノ , キヨミ・ナカニシ・ヤマダ

もち米で作った団子「餅」は、ブラジルの日本移民や日系人の多い地域のスーパーや朝市、日本食品店で簡単に手に入ります。 店頭に並ぶ餅を見る人の多くは、日本文化における餅の由来や意味など知らないと思います。 餅を作るのはとても手間がかかる作業ですが、昔からブラジルの日系コミュニティでは結婚式やお正月のお祝いに欠かせないものでした。 一晩水に浸したもち米を蒸して、それを臼に入れて男性たちが槌で搗いて餅を作ります。美味しい餅を作るには5人の男の力が必要だったと言われています。 …

ジャンカルロ柴山:日本人の祖父に敬意を表して

2018年6月13日 • ハビエル・ガルシア・ウォング=キット , ペルー日系人協会

記憶はどこにでもあります。家族の家具の引き出しの中や、肖像画の中、さらには想像の中にもあります。ジャンカルロ柴山の祖父、栄が亡くなったとき、彼の親族は非常に奇妙な儀式を行った。彼らは写真アルバムを開いて、誰かがおじさんと一緒に撮ったものを破り、ジャンカルロに影響を与えた。エル・コメルシオで写真家兼グラフィック編集者として何年も働いた後、個人的なプロジェクトを始めたいと考えていたジャンカルロは、 。彼は写真家集団Supay Fotosに参加していましたが、写真を撮ったり、他人…

ツールレイク軍事刑務所日誌:生存者の物語

2018年6月8日 • ナンシー・キョウコ・オダ

45年前、私は父、タツオ・イノウエと実家のキッチンに座り、父のツールレイク軍事刑務所日誌を書き写していました。まだ幼かった現在50代の二人の息子たちが奥の部屋で眠る間、毎晩私たちは煙たい部屋で、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の講義に提出する論文を書き進めていました。 それは単なる課題ではありませんでした。それは私たちの家族の物語、私たちの声、アメリカに刻まれた私たちの足跡でした。 最初にお伝えしておきたいのは、強制収容末期に生まれた三世の私には、収容所の記憶は全くない…

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このシリーズの執筆者

ペルー日系人協会(Asociación Peruano Japonesa, APJ)は、ペルー在住の日本人や日系人が集う非営利団体であり、彼ら及びその日系諸団体を代弁する協会である。

(2009年5月 更新)


コミュニケーション・コンサルタント兼フリーランス・ライター。広報、米国上院議員担当報道官、ジャーナリストとして30年以上の経験を持つ。ミシシッピ女子大学でジャーナリズムと政治学を専攻し、文学士を取得。テネシー在住。親友のブレンダは医療研究機関に勤める公認看護師で、家族の近くで暮らしている。


(2017年9月 更新)

 


ハビエル・ガルシア・ウォング=キットは、ジャーナリスト兼大学教授で、雑誌『Otros Tiempos』のディレクターを務めている。著書として『Tentaciones narrativas』(Redactum, 2014年)と『De mis cuarenta』(ebook, 2021年)があり、ペルー日系人協会の機関誌『KAIKAN』にも寄稿している。

(2022年4月 更新)


ジャーナリズム学を卒業し、リマ(ペルー)の日経プラスポータルのディレクター。彼はPerú21Expresoなどのさまざまなマスメディアでインターンシップを行いました。その後、ペルー新報社や日系社会の団体に所属した。ビジネス出版物のテキスト協力も行っている。

最終更新日: 2018 年 10 月


パラナ州出身。ロンドリーナ州立大学歴史学部・ロンドリーナ高等教育センター教育学部卒業。市立・州立学校の元教師。広島大学で文部科学省留学生(1987年ー1989年)。日本文化を継承する目的で成立されたロンドリーナの「グルッポ・ヒカリ」のメンバー。このグループのウェブサイトの写真編集を担当。

(2016年9月 更新)


デイビッド・ヒラタはサンフランシスコ・ベイエリアに住むマジシャンです。彼のマジックストーリーテリングショー「The Jap Box」は、2018年6月にサンディエゴ国際フリンジフェスティバルで初演され、「傑出した世界初演ショー」としてフェスティバル賞を受賞しました。彼は家族とのハイキング、ジャズ、おいしい漬物、そして飼い猫と笑うことを楽しんでいます。

2018年10月更新


1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)


ロサンゼルスの元教員。ロサンゼルス南部で行われているフローレンス・ニシダの農園ワークショップにボランティアとして参加し、洗心寺でも活動している。趣味は読書、太極拳、オペラ鑑賞。

(2023年6月 更新)


ジェシカ・ヒューイは、非営利組織の財政管理業務強化を支援する会社、BDO FMA のディレクターです。彼女はハーバード大学ケネディスクールで公共政策の修士号を取得し、ブラウン大学で学士号を取得しました。ジェシカは母方から日系アメリカ人 4 世 (四世)、父方から中国系アメリカ人 4 世です。

2023年3月更新


ジュディス・イチサカは、米国、日本、カナダに住んでいた日系アメリカ人の 4 世です。父方は 19 世紀後半に広島から米国に移住し、母方は現在も名古屋に住んでいます。比較文学の修士号を持ち、ブリティッシュ コロンビアのチヌーク語の専門用語の調査からモバイル セキュリティのリスクまで、さまざまな分野で記事を執筆しています。現在はサンフランシスコ ベイエリアでシニア テクニカル ライターとして働いています。

2018年10月更新


カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ育つ。日本生まれの父と台湾生まれの母を持つ。姉と二匹の犬がいる。彼女は現在カリフォルニア大学サンタバーバラ校に通う大学4年生。

(2018年8月 更新)


アケミ・フィゲレード・イマムラは、キューバ在住の日系三世。「Ingeniería Industrial」という工学専門誌の編集長。かつては、日系のフジというコーラスに参加していた。また、いくつかの国際的行事で日本文化についてを紹介。ハバナ大学外国語学部の「レネー・ラモスラトゥル外国語センター」では、日本語を専攻した。

(2018年10月 更新)

 

 


オアフ島出身の中国系アメリカ人三世。マッキンリー高校卒業後、大学でビジネスを専攻し美術も学ぶ。ロサンゼルス在住。ロサンゼルス郡職員として約30年勤務した後、非営利の慈善団体で事務局長を23年務める。社会貢献の一環として全米日系人博物館、イースト・ウェスト・プレイヤーズ(アジア系アメリカ人で構成される劇団)、オーデュボン・センター・アット・デブス・パーク(環境教育と保全のための自然公園内の施設)、ロサンゼルス・コンサーバンシー(ロサンゼルスの歴史的建造物などの保存のために活動する非営利団体)などでボランティア活動に取り組んできた。

フランが情熱を傾けているのは、エディブルガーデニング(食べられる植物を取り入れた庭造り)、ハイキング、キャンプ、スキー、コンサート鑑賞など。旅行も大好きで、たくさんの国を訪れたことがある。現在は短編映画の制作に取り組んでいる。

(2018年7月 更新)


ヴァネッサ・カナモトは、カリフォルニア州ロサンゼルス在住のダンサー兼振付師です。カリフォルニア州立大学フラートン校でダンスの学士号と運動生理学の理学士号を取得し、カリフォルニア大学アーバイン校でダンスの美術修士号を取得しました。

2018年7月更新


リラはアイダホ大学を最近卒業し、長崎に住み、働いています。彼女はランニング、ハイキング、水泳が大好きです。

2018年7月更新


カリフォルニア州立大学サンノゼ校で広告/マーケティング専攻。30年以上広告業界にて日米のマーケティングに従事し、その間長野オリンピック、ソルトレイクオリンピック、米国ワールドカップサッカー等のプロダクションにも携わる。2010年より全米日系人博物館にてボランティア活動を行う。2017年よりカリフォルニア州ナパにてオーガニック日本茶の栽培を始める。

(2018年9月 更新)


マルタ・マレンコ氏は、1945年に7人兄姉の末っ子として父タツゾウと母エステルのもとに生まれた。父を9歳の時にんなくした。母は、イタリアのジェノバ出身の子孫。アルゼンチンの北部で育ち、後に職を求めてブエノスアイレスに転住し、それぞれがブエノスアイレスで家族を築いた。夫はアルゼンチン人の獣医で、すばらしい二人の息子はメキシコに住んでいる。現在リタイヤして年金生活者の人生をエンジョイしている。

(2015年9月 更新)


ナンシー・マツモトは、アグロエコロジー(生態学的農業)、飲食、アート、日本文化や日系米国文化を専門とするフリーランスライター・編集者。『ウォール・ストリート・ジャーナル』、『タイム』、『ピープル』、『グローブ・アンド・メール』、NPR(米国公共ラジオ放送)のブログ『ザ・ソルト』、『TheAtlantic.com』、Denshoによるオンライン『Encyclopedia of the Japanese American Incarceration』などに寄稿している。2022年5月に著書『Exploring the World of Japanese Craft Sake: Rice, Water, Earth』が刊行された。祖母の短歌集の英訳版、『By the Shore of Lake Michigan』がUCLAのアジア系アメリカ研究出版から刊行予定。ツイッターインスタグラム: @nancymatsumoto

(2022年8月 更新)


キラ・マツノは、カリフォルニア大学リバーサイド校でビジネスを専攻する学部生です。彼女は、日系コミュニティ・インターンシップ(NCI)プログラムにキズナのインターンとして参加しており、大学キャンパスの日系学生連合にも参加しています。彼女はカリフォルニア州グレンデールで生まれ育った、日系アメリカ人4世です。

2018年7月更新


グレース・モリザワは三世です。両親はワイオミング州ハートマウンテン強制収容所で出会いました。ロサンゼルスで生まれ、西海岸の日本人が強制収容所から逃れるために逃げてきたオレゴン州東部の日系アメリカ人コミュニティで育ちました。彼女は全米日系アメリカ人歴史協会の教育コーディネーターを務めています。

2018年10月更新


レイモンド・ナカムラ氏は、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー在住。娘のお使いに振り回されていない時は、ヴォゴン人の詩*を書き、『ニューヨーカー誌』に却下されたことのある漫画を描いている。また、戦前ナカムラ氏の母が育ったパウエル・ストリートのガイドも務めている。子供向けのスポーツ詩集『And the Crowd Goes Wild』に、アイスホッケーのキーパーになることを題材にした詩が掲載されている。www.raymondsbrain.com.

*注:ヴォゴン人はSFシリーズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場する架空の宇宙人。シリーズでは、「ヴォゴン人の詩」は宇宙で3番目にひどい詩とされている。

(2012年10月 更新)


ツールレイク隔離センターで生まれる。元小学校校長、サンフェルナンドバレー日系アメリカ人コミュニティセンター役員、ツナキャニオン拘置所連合会長。ツールレイク軍事刑務所日誌は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校スヤマ・プロジェクトのウェブサイトSuyama Project websiteに掲載されている。

(2018年6月 更新)


ジュンコ・オガタ・アギラールはベラクルス出身の日系四世。現在メキシコ自治大学でラテンアメリカ学科を専攻。ベラクルス日本人移住や彼らのアイデンティティや多様な文化的側面について研究している。

(2018年10月 更新)


アリエル・オカモトは、ロサンゼルスに住む日系 4 世アメリカ人です。現在は、UCLA でコピーライターとして、またフリーランスの助成金申請書作成者および開発コンサルタントとして働いています。余暇には、家族との活動、教会や地域社会でのボランティア活動、文化学習、創作活動に取り組んでいます。

2018年10月更新


ディーン・オカムラは、パソコンが普及する以前に、UCLA で精神生物学の学位を取得しました。その後、すべてが変わり、キャリアを再構築することになりました。CSUN でコンピューターサイエンスの修士号を取得しました。私は日本旅行に関する投稿を Facebook でシェアしました。

2018年10月更新


パラナ州アラポンガス出身。パラナ州ロンドリーナ州立大学経営管理学部卒業。ロンドリーナのジュエリー・セミジュエリーの問屋のサイトやファンページの写真とビデオを担当。「グルッポ・イシンダイコ・デ・ロンドリーナ」のコーディネーターの一人。日本文化を継承する目的で成立された「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」のメンバー。このグループのウェブサイトの撮影、製作、ビデオ編集を担当。


(2018年6月 更新)


 ロベルト・オオシロ・テルヤは、ペルー出身の53歳、日系三世。両親セイジョウ・オオシロとシズエ・テルヤは、父方も母方も沖縄出身(豊見城と与那原)。現在は、ペルーの首都リマ市在住で、市内で衣類販売の店を経営している。妻はジェニー・ナカソネで、長女マユミ(23歳)、長男アキオ(14歳)である。祖父母から教わった習慣を受け継いでおり、特に沖縄の料理や先祖を敬う象徴である仏壇を大切にしている。子供達にもこのことを守って欲しいと願っている。

(2017年6月 更新)


アン・シモジマは、シカゴ地域に住む、小学校図書館メディア専門家でプロのストーリーテラーを退職しました。アンの Web サイトにアクセスして、彼女の家族の物語のビデオ抜粋を見たり、物語のオーディオ バージョンをダウンロードしたりできます。リソース ページでは、日系アメリカ人の強制収容や自分の家族の歴史の調査に関するリソースの書誌をダウンロードできます。

2018年9月更新


メアリー・スナダ氏は夫のジョンと結婚して43年になり、ジェームズとデイビッドという二人の息子がいる。元小学校教員で、ロサンゼルス統一学区の小学校に36年勤めた。現在は、オレンジ郡仏教会、全米日系人博物館、ゴー・フォー・ブローク全米教育センターの会員。好きなことは、釣りやダンス、そして昔からの友人たちや新しい仲間と旅行をすること。ディスカバー・ニッケイへもしばしば寄稿している。

(2023年10月 更新)


現在61歳。生まれも育ちもサンパウロ市で、祖先は沖縄県人。結婚し2児の母。退職後、文章を書いて昔を思い出したり、視野を広げたりしている。

(2018年10月 更新)


情熱的で新進気鋭の思い出の語り手であり、職業は広報担当者。私は子供の頃から日記や物語を書き始めましたが、今に至るまでやめることはできません。感情の健全なカタルシスとして始まったものは、なぜ私が今日いるのかを伝える物語へと変わりました。

最終更新日: 2018 年 10 月


コーディ・ウエダは、南カリフォルニア在住の日系アメリカ人4世。南カリフォルニア大学で文学士号と法務博士を取得、ハーバード教育学大学院で教育学修士を取得し、現在は教育研究の分野やアジア系アメリカ人の非営利団体で働いている。

(2022年12月 更新)

 


ノンバイナリー(男女という性別の二元論に分類されない)トランスジェンダー、脳外科手術を乗り越えたミックスの日系人。太鼓演奏の経験があり、インターネットを見て育つことやオンラインと現実世界両方から受けたPTSDについての漫画を描いている。職業は手技療法士。自身の作品の狙いは、ニッケイのアイデンティティに関わるメディアやナラティブの非植民地化であり、資本主義的家父長制を克服し、文化的、生態学的により健全な未来の促進を目指している。

(2018年9月 更新)


サンパウロ州ベベドウロ出身。サンパウロ総合大学看護学部卒業。2010年引退までロンドリーナ州立大学教授。同大学の高齢者向けのラジオ番組「Tecer Idades」のプロダクションの一人。コミュニティの高齢者化プロジェクトのボランティアとして活動。寝たきり高齢者と介護者のためのロンドリーナにあるサポートハウスの取締役会に参加。日本文化を継承する目的で成立された「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」のメンバー。このグループのウェブサイト製作、編集を担当。

(2018年6月 更新)


ダニエル・ユキ・ヤンはロサンゼルス出身で、現在はベイエリアに住み、カリフォルニア大学バークレー校で英語を学んでいます。読書、執筆、絵画、ハイキング、パン焼き、旅行が好きで、もちろん日系アメリカ人のプログラムに参加したり、アジア系アメリカ人の団体で活動したりしています。過去には、延世大学バスケットボール協会、日系アメリカ人オプティミストクラブ、ライジングスターズプログラムに参加したほか、ゴー・フォー・ブローク国立教育センターや日系アメリカ人国立博物館で活動してきました。趣味として、またはディスカバー・ニッケイの寄稿者として執筆を続けながら、将来はヘルスケア分野でのキャリアを模索したいと考えています。

2017年7月更新


Luci Júdice Yizima、ジャーナリスト兼写真家、東洋人にブラジルの美食(自家製料理と典型的な料理)を教える、Portal Oriente-se、東洋慈善活動のボランティア写真家、Editora União Nikkey Ltda で勤務(新聞社 Nikkey NewsおよびJornal Nippakジャーナルへの寄稿者) da Liberdade (ブラジル、サンパウロのリベルダーデ地区の新聞) 「ドキュメンタリー エスペリョス」に参加。

2018年10月更新