ニッケイ物語 7—ニッケイ・ルーツ:私たちの文化の足跡をたどる
これまでの「ニッケイ物語」シリーズでは、食、言語、家族や伝統など、日系人特有のさまざまな文化を探求してきました。今回は、ニッケイ文化をより深く、私たちのルーツまで掘り下げました。
ディスカバー・ニッケイでは、2018年5月から9月までストーリーを募集し、全35作品(英語:22、日本語:1、スペイン語:8、ポルトガル語:4)が、アルゼンチン、ブラジル、カナダ、キューバ、日本、メキシコ、ペルー、米国より寄せられました。このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。
お気に入り作品はこちらです!
編集委員によるお気に入り作品:
- 日本語:
150年の時を経て蘇る会津若松の魂のお茶
馬上 直(著)
- 英語:
鼓動の共有
モリ・ワルツ(著)
- スペイン語:
私の中にある日本
アケミ・フィゲレド・イマムラ(著)
- ポルトガル語:
世界を駆け巡りながら
エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ (著)
ニマ会によるお気に入り作品:
- 星27個
パラナの「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」の伝統行事『餅つき』
アルバ・シオコ・ヒノ、 ニルザ・マキコ・イワクラ・オカノ、 キヨミ・ナカニシ・ヤマダ(著)
このシリーズのストーリー
私の日系習わし
2018年9月13日 • ケイト・イイオ
私が6歳の頃から、両親は毎年、姉と私をロサンゼルスのダウンタウンにあるリトル東京で開催される二世ウィーク祭に連れて行ってくれました。日本村プラザに連なるたくさんのお店のなかのひとつで、作りたてのお団子とコロッケを初めて買ってもらった時のことを覚えています。甘いたれのかかったお団子と、その後に食べた香ばしいとんかつソースのかかったコロッケがよく合って、二世ウィーク祭での私達家族の毎年恒例のおやつとなりました。 日本村プラザの光景や匂いを楽しみながら家族みんなでプラザ内を歩き…
150年の時を経て蘇る会津若松の魂のお茶
2018年9月7日 • 馬上 直
若松コロニーの歴史 今から約150年前の1869年、戊辰戦争で敗れた会津若松からアメリカ、カリフォルニア州ゴールドヒルに約22名の米国本土移民第一号のグループがやって来た。(ハワイへの最初の移民は1868年。)このグループは、ジョン・シュネルというプロシア人に率いられ、アメリカで新天地を作ろうと会津若松からやってきた先発隊である。 このジョン・シュネルという人物は平松武兵衛という和名をもつ会津若松藩に武器を収めていた武器商人で、ゴールドラッシュで賑わっていたゴールドヒル…
約束
2018年8月23日 • メアリー・スナダ
約 60 年前、10 歳の少女が約束をしました。私はその少女で、その日のことをはっきりと覚えています。親友のレスリーが遊びに来て、秘密を教えてくれました。私が「パパ」と呼んでいた男性は、私の実の父親ではないと彼女は言いました。私は最初に友人からそのことを聞いたので、母に対して傷つき、怒りを感じました。今、私は自分が疎外感、不幸、いつも孤独を感じるという感情を抱いていた理由を理解しました。母がなぜ私の父親について話さないのか知りたかったのです。父は悪い人だったのでしょうか。私…
日本の髪:その文化的、家族的、そして個人的なルーツを探る
2018年8月13日 • ダニエル・ユキ・ヤング
私が「ノンキ」(おばあちゃんが冗談でそう呼んでいる)状態に入り、現在の時間と空間から抜け出すと、自分の取るに足らない部分についてよく考えてしまいます。私は、自分の嫌いな部分について自意識過剰に考えます。現在、それは、数週間前にノンキペルソナに入り、90度の暑い太陽の下に長時間横たわった後にひどい日焼けをして、脚の後ろの皮膚が剥がれ落ちていることです。しかし、たいていの場合、私はやや厚手で全体的にヘルメット型の髪型を固定している毛先をいじったり、より細く「ウェーブのかかった」…
半分になる
2018年7月30日 • リラ・クロッフェンスタイン
私の母は日本人で、父はアメリカ人です。私はハーフです。ハーフ。この言葉に異論を唱える人もいます。混血の人を「ダブル」と呼び、両方の民族が同時に存在するという事実を反映しています。私は「ダブル」とは考えていません。アメリカ人だと考えます。それ以外は何も知りません。私の日本人としての半分は、日本のテレビ番組、畳と魚の匂い、そして散らばったランダムな言葉のぼんやりとした雲で、そのすべてが徐々に記憶から消えていきました。年を重ねるにつれて、私の日本人としての半分はますます空虚になっ…
社会貢献活動におけるダンスの力
2018年7月16日 • バネッサ・カナモト
2017年春、最近の政治情勢を鑑みて、私はもう誰かが「何か」してくれるのを待つことはできないと決心しました。当時、私はダンスの大学院生だったので、カリフォルニア大学アーバイン校で「仕方がない」と題したダンスを振り付けることにしました。 「仕方がない」は「仕方がない」と訳される日本語です。これは、強制収容所に拘留されるという不当な扱いを受けた多くの日本人が使った表現で、制御できない状況にもかかわらず尊厳を保つ能力を意味します。私の記事では、カリフォルニア州ロサンゼルスにある全…