私はジュンコ・オガタです。約一年前までは「ニッケイ」という言葉が存在することさえ知りませんでした。移民としてやってきた祖母の父親については、幼い頃祖母が話をしてくれました。曽祖父の名前はジンペイ・オガタ(後にカトリック教の洗礼を受けたのでマリアーノという名前をもつ)。石炭鉱山で働くためにメキシコにやってきました。しかし、その仕事はあまりにも過酷で非人間的であったため、別の仕事を求めてそこを逃げ出したそうです。
数年後、ベラクルスのサントゥアリオ・デル・クリストネーグロとして知られているオタティトランという街に辿り着きました。そこで身寄りないルペ・アギラールという女性と知り合い結婚、7人の子供をもうけました。しかし、子供達に日本語を教えたり、日本語で話しかけたり、日本の伝統や日本においてきた家族について話すことは一切ありませんでした。曽祖父のことは曽祖母や他の兄弟等から聞いた話でしか知りません。私の祖母が生まれた日、曽祖父は市役所に出生届を出しに行きました。帰宅後、曽祖母はこう尋ねたそうです。
「マリアーノ、娘にどのような名前をつけたの?」
「ナミコにした。日本においてきた彼女の名前なのさ」
「なんと失礼な!それほんとうなの?」
「なぜ、そんなに怒るのだ!もう遠い昔のことだし、それ以来あったこともないのだよ」と、曾祖父は反論したそうです。
曽祖父が残してくれた日本の遺産…