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米国で生きる日本人の選択

41年前に駐在員として渡米後永住権取得・近く日本に永久帰国予定の宮田慎也さん

宮田さんと奥様の洋子さん。夫妻のお嬢さんはノースキャロライナに暮らし、息子さんは高校卒業後に日本に戻り、東京で暮らしている。

終の住処は日本

オンライン取材させていただいた画面の向こうの宮田慎也さんは満面の笑顔だった。聞けば、入国規制が解除された日本に、ロサンゼルスから4年ぶりに帰国したばかりで、その日本での1カ月の滞在が夢のように楽しかったというのだ。

「今回の帰国の理由は4年帰ってなかったので久しぶりに帰りたいと思ったこと。もう1つは、サービス付きの高齢者ホームの下見をすることでした。2件の施設を見て、世田谷にあるホームに決めてきましたが、問題はまだ空きがないこと。おそらく年内か、来年の初めまで待って、それから帰国することになりそうです」。

現在77歳の宮田さんのアメリカ生活は41年にわたる。36歳で広告代理店のアメリカのブランチに駐在員として赴任。

日本のリーズナブルな食も魅力だが、ロサンゼルスでは身近だった美味しいメキシコ料理があまりないのが残念だと話す。「だったら自分で作ることにします」と宮田さん。

「最初は数年で帰国する予定だったんだけど、いついちゃった。ゴルフが大好きな僕にとってここは楽しくて仕方なかったし、女房もテニスをやるので、(ロサンゼルスは)最高の環境でした。しかも子どもたちもここでの生活に馴染んだので、渡米後3年目にここに残りたいと会社に言ったら許可が出て、グリーンカードを取得しました」。

しかし、「終の住処」はあくまで日本だと決めていたそうだ。

「80歳まで、つまりエネルギーがなくなってしまう前に引き揚げようと女房と話していました。ここ数年でそれが現実味を帯びてきましたね。特に女房が医療のことを心配し始めました。僕も彼女も白内障の手術をしているんですが、一般内科はまだ日本語で受診できるチョイスがあるけれど、専門医になると日本語を話す看護師さんとお医者さんがいないわけです。手術前の同意書なども英語で書いてありますよね。また、目が悪くなると夜の運転は不安です。さらに、数年前から女房の友達なども続々と日本に引き揚げていってしまいました」。


決めては医療、そして治安

宮田さんは2023年3月の日本への帰国の際に、東京都内の某病院を訪れた。

「ゴルフのやりすぎでおかしくなったのか、首が痛かったんです。それで、日本の友人に病院を勧められて行ってみると、そこでの経験が実に素晴らしいものだったのです。まず、予約なしに11時半頃に行き、番号札を取って、院内のレストランで食事していると診察の時間になりました。そこでレントゲンを撮り、すぐにそれを見ながら『頚椎の損傷ですね。私が治します』とお医者さんに言われました。

日本で健康保険を持っていないことを伝えると、デポジットで3万円払うように言われ、アメリカ的な感覚だと非常に安いのですぐに払いました。ところが実際の診察費用は2万5000円とさらに安くて、本当にびっくりしましたね」。

東京の病院での経験から、宮田さんはさらに「日本への永久帰国は正解」だと確信した。

「それから、とにかく移動が楽。相互乗り入れであちらこちらに乗り換えなしで移動できるし、タクシーがどこにでもいるからウーバーを呼ぶ必要もない。外食しても、美味しくて安い。ホテルも帝国ホテルのサービスアパートメントに1カ月いたんだけど、3000ドル。1泊100ドルですよ。

それから治安の良さ。僕なんて酔っぱらってフラフラ歩いてしまうんだけど、夜歩いても心配ないでしょう?第一、銃を持っている人がいないんだから。交番もあちらこちらにあって安心ですよね」。


どこにいても自分らしく

宮田さん夫妻が、高齢者住宅を選んだ理由は何だったのだろうか?

「最初、東京に中古のマンションでも買って住もうと考えていました。しかし、女房がマンションからさらに高齢者住宅に引っ越すのが面倒だと言ったんですね。それは一理あると、最初から高齢者向け住宅に入ることにしました。でも、とにかく広いところじゃないと嫌だったから、100平米以上の施設を探しました。そうしたら東京には2件しかありませんでした。

入居を決めた世田谷の物件の決めてとなったのは、体験入居。僕は1泊、女房は2泊して、食事して住み心地を確認しました。僕にとっては麻雀ルームがあることが魅力で、他にも温泉、カラオケルーム、それにクリニックまで施設内になんでもあるんですよ。女房は体験入居の間に友達ができちゃったので、えらく気に入って『もう、ここにする』って言うので、決めました。もう1件下見したのはタワマン(高層マンション)だったので、地震の時が怖いなと思ってしまいましたね」。

それでは、アメリカの何に未練を感じているだろうか?

大好きなゴルフは「日本ではもうやらない」と決めている。

「女房は全くないようです。僕はやっぱりゴルフかな。日本に帰ったら、もう運転しないし、費用も高いし、ゴルフはもうやらないと決めています。自由なアメリカとは違う日本の感覚についていけると思うか? 僕は昔から自由気ままな性格なんです。先日の滞在で大学時代の友人とも再会しましたが『お前は相変わらず、好き勝手やってるなあ』と言われましたよ。だから、日本でも自分の好きなようにやるし、どう言われてもそれは全く気になりませんね」。

さて、これから40年以上暮らしたアメリカでの資産の整理や引越し準備に着手しなければならないが、宮田さんは全く心配していないと話す。

「誰もが、日本に引き揚げる時にはやらなくちゃいけないことです。そんなに面倒とは思っていません。ただ、粛々と準備するだけです。女房はいろんな物に思い出があるからって言いますけど、僕はとにかく捨てればいいと思っています(笑)」。

最初から最後まで、日本に帰って暮らすのが楽しみで仕方ないと笑顔の宮田さんだった。きっとアメリカでの41年間も満喫し、後悔など残っていないのだろう。アメリカでも、そして日本でも、どこにいても自分らしく楽しんで生きていく宮田さんの姿が想像できた。

 

© 2023 Keiko Fukuda

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このシリーズについて

米国と日本の間で生きる日本人に、永住権取得や日本への引き揚げなど、人生の選択についてインタビュー。