ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/3/17/sugimoto-kyoko-hicks/

2014年渡米、スケートボード留学生を日本から受け入れる杉本キョウコ・ヒックスさん

育児終了後に米留学

初めてのアメリカは18歳の時。現在、ロサンゼルス近郊に暮らし、日本からのスケートボード留学生を迎えてお世話をしている杉本キョウコ・ヒックスさんは、「コネチカット州に留学していた兄を訪ねたのが、アメリカに初めて来たきっかけです。ずっとアメリカの雑貨が大好きで、SONY PLAZA(海外の小物や化粧品などを販売する日本国内のショップ)に通っていました」と振り返る。

しかし、その後、日本で結婚し2人の子の母親になり、さらに離婚でシングルマザーになったことで、育児が最優先事項になった。「ずっとアメリカに来たいと思っていました。それで、次男が二十歳になった時に育児終了を宣言して、私のアメリカ留学を決行したのです」。それまでも、キョウコさんは子どもたちを連れて何度も短期でアメリカに足を運んでいた。カリフォルニアで体験したスケートボードに熱中した次男、エイセイさんはその才能を伸ばし、瞬く間に日本のキッズスケートボーダーとして有名になり、今では日本スケートボード選手権の審査員を務めるまでになった。

有名スケートボーダー、杉本エイセイの母であるキョウコさん自身も渡米後、スケートボードを始めた。

実は、エイセイさんが10歳の時に1年間の母子留学に挑戦しようとしたことがあったと言う。

「私が学生ビザを取得して、息子と一緒にアメリカに滞在しようと思っていたのです。理由は分からないけど、私のビザが却下されてしまいました。その時、シングルマザーだったから、学生ビザで入ってきて、そのまま住み着こうとしていると思われたのかもしれません。それ以上粘って、普通の出入国ができなくなってしまったら困るので、私の学生ビザ取得での母子留学は断念しました。それでも、私が2014年に単身で留学してくるまで30回は息子と一緒にアメリカには来ましたね」。

住んでみたアメリカのギャップ 

ロサンゼルス近郊のコミュニティーカレッジのESLコースに40代で入学したキョウコさん、遂に念願のアメリカ生活が始まった。その後、知り合ったアフリカ系アメリカ人男性と再婚し、永住権も手にした。渡米してすでに8年になるキョウコさんに「ビジターとして経験していたアメリカと住んでみたアメリカで、感じているギャップ」について聞くと次のような答えが返ってきた。

「まずクレジットスコアの重要性を知りました。優秀なクレジットスコアがないとアメリカでは何もできないということを分かっていませんでしたね。それから寄付の文化。日本だったら無料の物をいただいたらそのままお礼を言えばいいだけだけど、アメリカではいただいた物には寄付で応えないといけません。それから、夫の親戚が家に泊まりに来た時のこと。おばさんが娘さんの髪の毛を毎朝、30分以上かけてドレッドヘアに編み上げてあげているのを見て、それは黒人だけの文化なんだと思いますが、母から子への深い愛情が伝わってきましたね。

さらに、アメリカ人は教育する時によくほめますよね。今、パートタイムで働いているレストランでアメリカ人の従業員をトレーニングしているのですが、日本人的に直さないといけないところばかり目に付いて指摘した私や全ての日本人の従業員に、アメリカ人マネージャーが『まず、ほめて。それから注意するようにして』と言ったのです。それを聞いて初めて、アメリカ式の教育法に気付かされました」。

自身はアメリカで変わっただろうか?「私自身は変わってないです。でも、アメリカの日本との違いを知って対応は変わったかもしれませんね。たとえば、アメリカは医療費が高いから、より健康的な食生活を意識するようになった点などです」。

来なければ分からない 

キョウコさんの本分はあくまで日本からのスケートボード短期留学生の受け入れだ。

「スケートボードについて経験したり学んだりするだけではなくて、子どもたちにはアメリカの実態を見て帰ってほしいと思っています。例えば、アメリカではたとえライバルでも凄い技を披露したら、褒めちぎるんです。私は、頑張った人を褒めるというアメリカの習慣を、子どもたちに日本に持ち帰ってほしいと思います。そして、アメリカの良さを、日本の親にきちんと伝えてほしいんです。さらに、子どもをアメリカにスケートボード留学させるには、親がお金を出しますよね。だから子どもたちには、滞在中に親宛の感謝の手紙を書かせたりもします」。

アメリカで暮らしたいと思っていた夢を、自身の母親業が終わってから実現したキョウコさんに、「今からではもうアメリカ留学や渡米は遅い、と思っている人に何とアドバイスするか」と尋ねると、返ってきた答えは辛口ではあるものの、納得させられるものだった。「とりあえず、アメリカに来てみたら?と言いたいです。だめなら日本に帰ればいいじゃないですか。迷っていたら、時間はどんどん経ってしまいます。行きたいけど行けない、と実行に移さない人は、私から言わせたら本気じゃない、ですね。私自身は、結果的にここで結婚しましたが、とりあえず学生ビザの5年間、アメリカに来てみようと思ってやって来ました。まずアメリカに来てみないと、自分がやっていけるかどうかは分からないと思います」。

キョウコさんは渡米後、エイセイさんの活躍を長い間見守ってきたスケートボードに挑戦したくなり、自身でもスケートボーダーになった。さらに、最近はまっているのがソウルラインダンス。歩いているような気楽さで、大勢で踊るというアフリカ系独特のダンスだ。「皆が踊っているのを見て、仲間に入れてほしかったけど、2カ月くらいは相手にされませんでした。でも、やがて仲間に入れてもらい、昨年にはニューオーリンズで開催された全米の大会にも参加してきました」。

日本からやってくるスケートボーダーたちの世話をしながら、並行してソウルラインダンスを日本に知らせていく活動にも力を入れていくと今後の抱負を語るキョウコさん。彼女には、これからもアメリカに残る理由が確実にあるようだ。

杉本キョウコ・ヒックスさんのブログ:https://ameblo.jp/caskatepark/

 

© 2023 Keiko Fukuda

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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