ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2018/8/6/isahama-imin-3/

第3回 「犬コロのように追い払われた」

ブラジル移住後の澤岻さん家族写真

銃剣を構えた米兵とブルドーザー、クレーン、ダンプカー、トラックが現れたのは、7月19日のまだ日の昇りきらない早朝4時半のことだった。接収は前日の18日に予定されていたので、地主の一人は「予期はしていたが未明には思わず油断していた」(『琉球新報、55年7月19日夕刊』)とコメントしている。

午前5時には農地の周囲に鉄条網を張り巡らす作業が始まり、支援者や新聞記者たちははじき出されてしまった。農地に踏み入った米兵たちは住民たちの訴えに全く聞く耳を持たず、座り込んでいた老人たちは簡単に持ち上げられ、その場からどかされた。

抵抗すると銃尾で叩かれ突き飛ばされた。新聞記者が写真を撮ろうとしたが、米兵がフィルムを没収した。カメラごと奪い取られた記者もいた。当時23歳の澤岻さんも必死の抵抗を試みたが、数人の米兵に抑えられなすすべもなかった。

澤岻さんはここまで話を進めると少しの沈黙のあと、「四等国民は本当につらいものです」とつぶやいた。戦前の日本では琉球人、アイヌ人、朝鮮人、台湾人などを二等、三等国民と呼び、差別していたと言われる。

記者が「四等国民ですか」と繰り返すと、澤岻さんは「だってそうでしょう」と言葉を強めて返した。「話すら聞いてもらえない。私たちは人間扱いされていなかった。三等国民じゃない。四等国民だよ」とうつむきがちに言った。

住民たちの必死の抵抗も虚しく、午前10時ごろには家屋がブルドーザーで破壊され、田畑には海岸の砂をポンプで流し込まれ、24世帯が土地も家も失い、家は残ったが田畑を全部奪われたのは30世帯だった。澤岻さん一家は近くにあった父親の家に移り住んだが、田里家など32家族は近くの小学校で寝泊まりすることとなった。

「伊佐浜難民」は小学校の後、戦争引揚者の一時滞在場所だった「インヌミヤードゥイ」へ移住。石ころだらけで畑地には適しておらず、急づくりの木造トタン葺きの家々は台風に弱かった。56年9月のエマ台風で14戸のうち、5戸が全壊、8戸半壊、無事だったのは1戸のみだった。

伊佐浜は風光明媚で沖縄の三大田園に数えられていた。水が豊富に湧き出て、良質の米が取れる肥沃な土地だった。「インヌミヤードゥイ」以外の移住地も探したが、伊佐浜に見合うどころか、より劣悪な環境しか見つからなかった。

こんな実態から、琉球政府は伊佐浜に住んでいた家族をブラジルに移住させる計画を立て、10家族が渡伯を決めた。1957年の夏、チチャレンカ号で神戸からサンパウロ州サントス市に向けて出発した。

澤岻さんは「沖縄に残って、やっていくって気持ちはもうなかった。田畑は砂で埋められてしまっていて、もう何もなかった」と肩を落とす。「酒場で飲んでいて犬コロが寄ってくると、人間がそれを追い払うでしょ。それと同じように、米軍は私たちを追い払った」と続けた。

「私たちは沖縄県人で、沖縄は私たちの島なのに、アメリカの奴らは私が近づいただけで『Get away here! (ここから立ち去れ!)』と怒鳴ったんだ。自分の生まれ育った場所なのになんでそんなことを言われなくてはならないのか。本当に辛かった。きっとあなたにはわからんでしょう」と絞り出すような声で言った。

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*本稿は、「ニッケイ新聞」(2018年3月16日)からの転載です。

 

© 2018 Rikuto Yamagata / Nikkey Shimbun

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このシリーズについて

終戦から10年目の1955年7月19日、「沖縄有数の美田」といわれた宜野湾市伊佐浜の土地、さらに家屋までが米軍によって強制接収された。土地を失った10家族が縁故のいない未知の国、ブラジルに移住したのはその2年後のことだった。「伊佐浜土地闘争」は強制接収に対する初期の抵抗運動として、その後の「島ぐるみ闘争」で象徴的に語られる史実となった。その一方、渡伯した人々がどんな人生を送ったかは、あまり知られていない。どのような想いで土地を奪われ、故郷を離れたのか。どんな思いを秘めてブラジルで生きてきたのか。3組の伊佐浜移民への取材を通して、激動の沖縄近代史の一端をたどった。全5回シリーズ。「ニッケイ新聞」からの転載。

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執筆者について

1992年⽣まれ、埼⽟県出⾝。明治⼤学商学部卒。⼤学⽣のときにブラジル、アルゼンチンなど中南⽶諸国を訪問。卒業後2年間保険会社で務めた後、2017年から1年間、ブラジル⽇本交流協会の研修制度を利⽤してニッケイ新聞で研修を受ける。18年からニッケイ新聞記者。

(2018年7月 更新)

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