笠原 ハルオ

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節) 日本が恋しくて泣いた日々 大変だったプランテーションでの仕事 一日中子供を預けて仕事 真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

1900年生まれの福岡県出身の笠原さんは、先にハワイへ移住していた両親に1919年に呼び寄せられた。移住当時はホームシックで毎日泣き明かしていたという彼女は、砂糖きびプランテーションで日給55セントで働いた。

笠原さんは1922年に、プランテーション労働者とお見合い結婚をした。夫は再婚で、最初の奥さんは亡くなり、二人のお子さんをもうけていたが、笠原さんと結婚したときは、二人の子供たちは日本へいた。笠原さんはその夫との間に6人の子供をもうけたが、うち2人をまだ小さい時に亡くした。(1991年7月)

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