ディスカバー・ニッケイ

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フレッド・コレマツの再審評決が言い渡された時のこと (英語)

(英語) 僕はフレッドに近寄って一緒に立ち上がり判決を聞きました。そして僕は彼に、「フレッド、やりましたね!」と言ったんですね。そしたら彼は、「どうなったんだ?」と言うので、「フレッド、あなたが勝ったんですよ。あなたの訴えが認められたんです。」と伝えると彼は、ずいぶん当惑した様子で僕を見て、「それはよかった。それは、本当によかった。」と言ったんです。でも実際彼はまだよく理解していないということが僕にはわかりましたが、たくさんの人たちが彼の方にやって来て背中を叩いたりしたんです。弁護団も弁護席側で互いに抱擁を交わしていました。フレッドは周囲に抱擁されながら立ちすくんでいて、無表情のまま何の反応もありませんでした。彼には何が起こったのかまだ理解できていなかったんです。フレッドは、何がなんだか分からない、と我々にも言っていました。

長期に渡り様々な苦労があった末の判決に、彼自身ぼう然としてしまったのです。そして僕らは外に出ると、大勢の二世の人たちに囲まれたんです。僕はあれほど大勢の二世が同じ場所に集い一緒に泣いているのを葬式以外で見たことはありませんでした。でもそれは喜びの涙で、彼らの感情はあふれ出すほどで、フレッドや僕ら弁護団全員を抱擁してくれたんです。二世の人たちは何よりも僕らに感謝してくれたんですね。

でも僕は、他の弁護士と一緒に並んで、「僕たちは、二世のみなさんにこそ感謝してるんですよ。もしみなさんが払った犠牲や経験の全てがなければ、僕らは今こうしてここにいることはなかったでしょう。みなさんに恩返しをすることができたことは、我々の誇りでもあるのです。」と、逆に感謝したんです。この経験は、人生で経験できる最も素晴らしい瞬間の1つだったと思います。


日付: 2003年2月8日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ、マーガレット・チョン

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

デール・ミナミ氏は、1946年10月13日カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、同州のガーディナで育った日系三世の男性です。1968年、南カリフォルニア大学で政治学の学士号を取得し、卒業時(学業優秀者に贈られる)magna cum laude(優等賞)を受賞、同時にPhi Beta Kappa(全米最古で終身会員制の優等学生友愛会)の会員資格を授与されました。そして1971年、カリフォルニア大学(バークレー校)Boalt Hall School of Lawで法学修士号を取得しました。ミナミ氏は、Asian Law Caucus, Inc.、Asian Pacific American Bar Association of the Greater Bay Area、The Asian Pacific Bar of California, the Coalition of Asian Pacific Americansの共同創立者です。

ミナミ氏は、アジア太平洋系アメリカ人およびマイノリティーの公民権に関わる(数多くの)重要な訴訟に関わってきました。そのひとつに、コレマツ対アメリカ合衆国があります。これは、当初米連邦最高裁が(日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を)支持するという重要な判決を下し、40年前にコレマツ氏が、第2次世界大戦中に日系アメリカ人に出された退去命令を拒否した罪で有罪となったのを覆す訴訟でした。その他には、1)アジア太平洋系アメリカ人(全体)を代表してアジア太平洋系アメリカ人が起こした初の雇用をめぐる集団訴訟、United Pilpinos for Affirmative Action対California Blue Shield(保険機関)。2)アジア太平洋系アメリカ人を代表し、ワシントン州立大学にアジア系アメリカ人研究プログラムを開設するよう要求した集団訴訟、スポケーンJACL(日系アメリカ人市民同盟)対ワシントン州立大学。3)終身在職権を不当に却下されたことを申し立てたことで、教育の場で差別があると公に報道された為、最終的に学校側から終身在職権を与えられた、ナカニシ対UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)など、重要な訴訟に関わってきました。

ミナミ氏は、カリフォルニア大学バークレー校およびカリフォルニア州オークランドのミルズカレッジで教えた経験があり、State of California's Fair Employment and Housing Commission、State Bar of California(カリフォルニア州法曹協会)、およびJudicial Nominees Evaluationのコミッショナーを務め、更にAttorney General’s Asian/Pacific Advisory Committeeの委員長、Senator Barbara Boxer’s Judicial Screening Committeeのメンバーを務めています。また1994年には、クリントン大統領の任命によりCivil Liberties Public Education Fund Commissionの委員長を務めました。現在は、サンフランシスコを拠点とするミナミ・リュー・タマキ法律事務所のパートナーとして、人身傷害およびエンターテイメントの法律を専門に活躍しています。(2003年2月8日)

ジョージ・アリヨシ

知事選出馬を決意 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

フランク・ソギ

在日アメリカ人の弁護士として従事(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

弁護士としての役割(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判を読んで感じた怒り (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判が与えるアメリカの自由人権への脅威 (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

弁護士(1955年生)

フレッド・コレマツ

最終判決 (英語)

大統領令9066の合憲性に抗議(1919-2005年)

フレッド・コレマツ

不正を正す (英語)

大統領令9066の合憲性に抗議(1919-2005年)

ビル・ホソカワ

証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ピーター・アイロンズ

動かぬ証拠の発見 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

ピーター・アイロンズ

コレマツ裁判の終結 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

ピーター・アイロンズ

学ぶべき教訓 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

チエ・トミヒロ

聴聞会の証人委員としての役割 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

A. ウォーレス・タシマ

人種差別に遭うアジア系アメリカ人弁護士(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)