https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/453/
組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)
(英語)これといった差別を受けた記憶はありません。そういう意味ではシカゴはとても良いところでした。学校でも差別を感じるようなことはありませんでした。学校には多くの日本人がいました。どういうわけかシカゴに行った日本人は、一緒に集る傾向にありました。恐らく一緒にシカゴに来たという安心感があったのかもしれません。ですから私が通った高校にも多くの日本人がいました。
日付: 2004年2月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: グウェン・ジェンセン
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
1929年生まれのポール・テラサキ氏はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の名誉教授です。組織移植研究の第一人者で、組織タイピング(適合性検査)や臓器移植について世界的に講演を行い続けています。1991年、『History of Transplantation: Thirty-five Recollections (移植の歴史:35の回顧録)』を編集しました。
また、彼と画家としても有名な妻ヒサコ夫人は、日米関係や日系アメリカ人コミュニティに強い関心を持っており、UCLAのアジア系アメリカ人研究センターへ基金を設立し、日系アメリカ人に関する体験や問題点などを研究するために留学してきた日本からの大学院留学生を対象に特別奨学金を提供しています。さらに、UCLAにおける日本研究・日米関係の分野の専門家を育てるため、優れた教育プログラムをサポートするポール・I・テラサキ基金を設けています。 (2004年2月10日)
家族に恥をかかせないように (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
中東での過去と現在の関係 (英語)
兵士たちを手助け (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
沖縄出身者への差別 (英語)
白人と同じ権利を求めて(英語)
公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)
立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)
病院に入った戦時捕虜としての父(英語)
収容所のポジティブな側面(英語)
一世と二世の一斉検挙(英語)
真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)
アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
アメリカへ帰国後の帰米の扱い(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
市民権を取り戻す(英語)
ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)
忠誠心の質問への返答(英語)
収容所を出た後、シカゴでアパートを見つけることの難しさ(英語)