ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1805/

日本人のアイデンティティを持ったブラジル人

一応私はバイリンガルということになっているわけですね。日本語を話してて、私が日本人だと皆思うんでしょうね。日本人が非常に不思議がるのは、そこで電話がかかって来たり、あるいはブラジル人が入って来たりすると、即ポルトガル語に言葉が変わるじゃないですか。それはまあ非常に見事に切り替えができるわけですよね。

その時のアイデンティティーはどうかというと、私は二十歳でブラジルに帰化しているんですね。ですから50年間ブラジル人として生活してきている。日本国籍はその時になくなってますからね。したがって身分証明書上は私はブラジル国籍、ブラジルパスポート。日本では永住権を持っていますけど、日本では外国人ですよね。

しかしそれは単なる紙の上の話であって、「国籍はどこですか?」と聞かれたらブラジルと答えますけど、一方では日本人としてのアイデンティティていうか、それは日本人以上に持っている面もある。

ブラジル人であればこういった反応はしないだろうなと思うものが結構あって。しかし、ブラジル人の中でポルトガル語を喋っている感覚の中では、ブラジル人として普通に持っているものもありますね。


日本人

日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

ヘンリー・須藤

日本陸軍に入隊させられる (英語)

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

ヘンリー・須藤

昭和天皇・終戦の詔書への反応 (英語)

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

両家族への適応(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

ジミー・ムラカミ

日本で英語を教える(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

A. ウォーレス・タシマ

人種差別に遭うアジア系アメリカ人弁護士(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

エーシー・コオロギ

野茂が後続の日本選手に与えた影響(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

キャロウェイ・久松 照美

子どもと日本語

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

アイデンティティの変化

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

ニッケイという言葉について

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

日本人へ帰化することについて

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。