ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1803/

日本政府の日系人に対する誤った思い込み

1990年の6月に入管法改正されて、来年で30年になるんですけど、二世、三世の人たちが日本にどんどん行き始めていた時代なんですね。

日本政府は二世、三世ならば日本語もできるだろうし、日本文化もある程度分かっているだろうし、日本に適応するスピードも早いんじゃないかみたいなことを考えて入れたんですが、当時私もインタビュー受けてどう思うかと聞かれて、私はね、「日系人を日本人と同じだと思ってると間違いが起こりますよ」と言ったようなことを覚えているんですけどね。

実際その通りになったわけですよ。日本語ができると思って入れたんだけど、実はできなかったりね。それから、子供たちも連れてきたら、その子供たちが日本の学校に適応できなかったり。というようなことで、日本の外務省と労働省がですね、サンパウロにやって来て、とにかく日系人を、日本に働きに行くにあたって、事前に日本語とか、日本の文化、日本の法律、日本の習慣なんかを事前に教育する団体が必要だと、いうことで、文化協会とそれから県人会連合会とそれから援護協会、その3団体に話があってですね、その3団体から5人ずつ人を出して評議委員会を作って、私がそのCIATE(Centro de Informação e Apoio ao Trabalhador no Exterior、日伯雇用サービスセンター)の理事長になったわけですね。延々と27年間それを続けてやっているんですが。


ブラジル 在日日系人 政府 移住 (migration)

日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

赤間みちへ

ブラジル移民の目的

一世。ブラジル女性教育の先駆者

赤間みちへ

ブラジルに日本様式の女学校を開校

一世。ブラジル女性教育の先駆者

セリア・オオイ

日本人の祖先を持つブラジル人 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

日系ブラジル人アイデンティティの変化 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

サンパウロに集中する日系コミュニティ (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

新世代のライフスタイルの変化 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

天野美代子

戦後、南米へ密入国を試みた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

天野芳太郎との出会い

天野博物館館長 (1929年生)

恩智 敏子 エレナ

大和市国際化協会のボランティアスタッフになったきっかけ(スペイン語)

在日日系ペルー人

恩智 敏子 エレナ

社会統合を促進するさまざまな参加方法(スペイン語)

在日日系ペルー人

恩智 敏子 エレナ

ペルー人子弟にとって、日本の学校に通うことの挑戦と試練(スペイン語)

在日日系ペルー人

恩智 敏子 エレナ

日本のペルー人子弟のアイデンティティ危機問題(スペイン語)

在日日系ペルー人

恩智 敏子 エレナ

デカセギ者としての移動によっておこる家庭崩壊(スペイン語)

在日日系ペルー人

パウロ・イサム・ヒラノ

大泉とブラジルの日系コミュニティとの違い

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。