90年代に中南米から色々就労者、まあ当時出稼ぎ労働者と日系出稼ぎ労働者と言われていましたけれども、その人たちが大量に日本にやって来ていたわけですよ。僕は勿論、意識はしていましたけれども、そんなに沢山来ているっていうのは、まったく理解していなかったのですが、筑波にいたときも、その後もそうですが、スペイン語ができるという事、そして日本語もある程度上達していた訳ですから、その二つの言葉が出来るということは色々な企業や自治体から問い合わせが入るようになって来たわけですよ。裁判所もそうでしたし、警察当局からもそうでしたので、いろいろな単発な仕事ですけれども、非常に多く入って来て、通訳としてですね。後ちょっとした翻訳を、と。
そういうこともあって僕はちょっと当初予定していた専門分野を変更させてもらって、横浜国大で法律を専攻したのです。修士論文も労働法というのを専攻して、日本の民法や民事訴訟法やそういう分野を徹底的に勉強したのですね。そのお陰でやっぱり色々な活動ができるようになりましたし、ラテンアメリカから来るようになった日系人にサポートすることもできたわけです。
日付: 2019年9月22日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター