ディスカバー・ニッケイ

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廃墟と化した広島に戻る(英語)

(英語)最初のトラウマは原爆そのものだったとお話ししましたが、2つ目は横川に戻ったときのことでした。もう信じられません。地域がまるごと、市がまるごと消えていました。平らでした。この地域はもともと比較的平坦で、何ブロック先も見渡せるのですが、残っていたのはコンクリートや板金や石など、不燃性のものだけでした。植物はありませんでした。周辺に残っている唯一の有機物は、黒焦げになったおぞましい死体だけでした。私たちが戻るだいぶ前に相当な努力がなされていて、人々はできるだけ速やかに死体を集め、火葬にしていました。火葬にする匂い、遺体が焼ける匂いは忘れられるものではありません。

今でもそうです。10年程前だったでしょうか。私たちは旅行をしていました。世界中たくさんの場所を旅しているのですが、ある時ネパールへ行きました。旅の目玉の1つに、仏教の火葬の見学がありました。それはどこかの川の近くの田舎で行われることになっていました。「面白そうだな」と思ったのを覚えています。しかしその地域に近づくにつれ、匂いに吐き気を催すようになり、私はアイリーンに「行けるかどうかわからない」と言いました。でも結局火葬を見ることができ、乗り切ることができました。でも、何かのきっかけで記憶が刺激されて吐き気を催したり、少し胸が詰まるような思いをしたりすることは今でも時々あります。


トラウマ ヒバクシャ 原爆 広島市 広島県 日本 第二次世界大戦 被爆者

日付: 2019年9月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 三木 昌子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1938年イーストロサンゼルス生まれ。家族に連れられて1940年に来日。家族経営ビジネスのためにその年のうちに両親は弟を連れて帰国するが、ハワードと兄のケニーはそのまま日本に留まる。

第二次世界大戦が始まり、米国の家族はアリゾナ州ポストンに強制収容される。1945年8月6日、広島に原爆が投下され、ハワードは爆心地からおよそ1.3キロ地点で被爆したが無事だった。1948年に兄と共に米国に帰国し、家族との再会を果たす。

ハワードはコンピュータ技師の道を歩み、引退後は米国広島長崎原爆被爆者協会(ASA)のメンバーとなり、積極的に被爆体験を共有している。(2019年9月)

ジョージ・アリヨシ

戦時中のプロム (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジョージ・アリヨシ

退役軍人の影響 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジーン・アリヨシ

真珠湾攻撃の日 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

カズオ・フナイ

日本と米国

一世実業家(1900-2005)

カズオ・フナイ

東京の会社が焼失

一世実業家(1900-2005)

ジェームス・ヒラバヤシ

10代での収容所生活 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ロバート・カタヤマ

日記をつけるように命令され、後にFBIへ押収(英語)

第2次大戦中に第442連隊に所属していたハワイの二世

バーバラ・カワカミ

真珠湾攻撃 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

兵士たちを手助け (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

兄の出兵、そして生き残ること (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

ユリ・コチヤマ

白人と同じ権利を求めて(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

真珠湾攻撃の日(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

病院に入った戦時捕虜としての父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

愛国心 VS. 忠誠心(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)