インタビュー
リビングストンとサンフランシスコでの社会生活の違い (英語)
(英語)私の友人は、(サンフランシスコでは)全員日系アメリカ人でした。1人だけ日系ではない友人が居ました。ディビッド・ゴールデンという名のユダヤ系の少年です。中学時代の話です。高校では、クラスメートのことを知ってはいましたが、遊びに誘われることはありませんでした。彼らはダンスに行ったり、いろいろなことを話していましたが、一度も誘われませんでした。高校の同級生と遊んだ経験はありません。疎外感は感じていました。
社会生活がそれぞれの場所でどの程度開かれていたかというと、私にはほとんど違いがなかったと思います。リビングストンでは全てが人種別に分かれていました。私がリビングストンの公立学校に通っていた当時、ヤマトコロニーと町の人の間で、商売の競争になるようなものは町には作らないという合意がありました。つまり、日系人の理髪店や食料品店は作らないことを約束していたのです。にも関わらず、町の中で日系アメリカ人にサービスを提供してくれる店は一つもありませんでした。
そんな決め事がありつつも、リビングストン時代の友人は白人でした。不思議ですね。黒人の友人が一人、メキシコ系の友人も数人いましたが、ほとんどが白人でした。一緒に野球をしたり、ボーイスカウトでは同じ隊に所属していました。人種差別的な合意があったにも関わらず、リビングストンの人々とは親しい付き合いがありました。サンフランシスコの人々は友好的でしたが、階級があり人種別の住み分けがあったので、社会生活では一緒にスポーツをする以外、交流はありませんでした。
日付: 2005年3月4日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: フローレンス・オチ、アート・ハンセン、西村陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター