ディスカバー・ニッケイ

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ジュニア一世

僕は自分のアメリカでの生活の前半というのは、まったく一世と同じ道を歩いたし、一世がやったようなことを僕はやってきたと思いますね。だから最初の15年、結婚して、結婚して子どもが3人いて、父が死ぬまで十何年間というのは、お金を、仕送りを続けましたから、働いても働いても貯金というのはほとんど無かったです。だから小学校に入っている女の子3人いながら、彼女たちはバケーションなんて、僕にも無かったけど、娘たちにもバケーションの楽しい思い出も何にも無かったんですね。

だから、僕は帰米は、いったら「ジュニア一世」だと、そういう位置づけをしていますね。

もう一世と同じ、ありとあらゆる事をやりました。もうガーデナー見習いから、ハウスボーイ、トラック運転手、小さなお店の売り子。その辺にあるのは手当たり次第という感じで仕事をしましたね。だからその為に、学校にはほどんど行けなかった。いやほとんどじゃなくて、全然学校には行けなかった。だから英語を勉強するあれも、これね、自分の失敗です。学校に行かなかったっていうのは。


日付: 2012年1月31日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1929年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。1931年、反日運動が盛んになる中、子どもの将来を心配した父が、家族全員で日本へ帰国すること決意。生後18ヶ月にして、日本へ渡る。1952年18歳の時、アメリカへ帰国。以来アメリカで生活を送る。現在はカリフォルニア州ローズミード在住。(2014年6月)

阪根 博

日本人としての強いアイデンティティ

天野博物館事務局長(1948年生)

ウィリアム・ホウリ

日本人ではなく日系人(英語)

政治活動家(1927-2010)

ウィリー・イトウ

両親(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ファン・アルベルト・松本

父がアルゼンチンへ移住した理由

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

笠原 ハルオ

日本が恋しくて泣いた日々

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

大変だったプランテーションでの仕事

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

一日中子供を預けて仕事

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

カズム・ナガヌマ

親のペルーへの移住

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

たわし工場労働者から洋服の仕立て屋へ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

初期の日本人移民の職業

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)