(英語)大学1年から2年に上がる時、私は初めて日本へ行きました。慶應義塾大学との交換留学プログラムに参加し、日本でひと夏を過ごしました。日本から戻った私には、――日本へ行く前は選考を決めかねていましたが、建築家になりたいと思ったこともありました――日本語を学ぶことが重要になり、勉強を始めました。そして、史学の学位を取得するにあたり、東アジア史を専門分野に選びました。そしてそれは、私にとって、自分のバックグラウンドの全容を理解する上で非常に重要なことでしたし、私の人生の大切な焦点となりました。また、日本のものを受け継いでいるという、本当の意味での意識を持てたことは、私には重大なことでした。 1950年代にロサンゼルスにいた時は、毎年夏になると、姉(妹)やいとこたちとリトル東京の二世ウィーク音頭に出かけ、踊っていました。でも、18か19歳だった私を実際に日本へ向かわせたのは、日系であることの核心に迫りたいという気持ちと、私が日本を受け継いでいるという事実でした。日本行きは、私にとって決定的な経験となりました。
日付: 2012年7月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ローレンス・ラン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association