https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1176/
羅府新報創設者の娘(1908年生)
(日本語)猪瀬伊之助と彼の奥さんは、病院が閉鎖したあと1935年に日本へ帰りました。それは寂しかったですよ。それまでは電気がついていて、明るかったのがね、one day(ある日)パッと暗くなった時は、嫌なフィーリングでしたね。寂しい気持ちでしたね。
日付: 2010年2月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: エイコ・マスヤマ、キャロル・フジタ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
猪瀬ヨシコ氏はカリフォルニア州ロサンゼルス市に1908年に生まれました。父の渋谷セイジロウ氏は、羅府新報の創設者です。1930年初期、猪瀬伊之助氏の養子である清二郎さんと結婚。義父の猪瀬伊之助氏はリトル東京のアメリアとフィケット通りの角にあった日本人病院の初代院長を務めていた。(2010年4月11日)
日系人社会の中心だったEast First Street (英語)
作家(1934年生)
医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)
一世医師の娘(1928-2016年)
医師の一日 (英語)
日系二世の医師が受けた差別 (英語)
父と手術助手の看護師を見送った日のこと (英語)
父の裁判を知る (英語)
患者の方言を話すことで患者の緊張を解していた父 (英語)
日本人病院と両親 (英語)
一世医師の娘
リトル東京で法律事務所を開業(英語)
アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)