Material contribuído por ryusukekawai
日系アメリカ文学を読む
第1回 『立退きの季節』―日系人収容所の日々
Ryusuke Kawai
75年前のいまごろ、アメリカの太平洋岸地域に住む日本人・日系人は、前年末の日米開戦によって、強制的に立ち退きを命ぜられ、全米10ヵ所に設けられた収容所へと送られることになった。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第25回(最終回) 差別、偏見、戦いからどこへ
Ryusuke Kawai
「ノーノー・ボーイ」をめぐる連載も今回で最終回を迎える。この間、並行して進めていたこの本の新たな翻訳を、“パール・ハーバー”からちょうど75年目となるころ出版することができた。と、同時にアメリカでドナルド・トランプという移民に対して排他的な政策をとる大統領が登場した。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第24回 さまざまな観点からの批評、分析
Ryusuke Kawai
「ノーノー・ボーイ」を最初に翻訳した中山容氏が本名、矢ヶ崎庄司の名で残した「日系アメリカ人と文学―ジョン・オカダとローソン・F・イナダ―」(平安女学院短期大学紀要、 8, 23-30, 1977)を嚆矢として、その後も断続的に今日まで、この小説は論ぜられてきた。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第23回 日本では、70年代から今日まで論じられる
Ryusuke Kawai
小説「ノーノー・ボーイ」は、日系アメリカ人である著者、ジョン・オカダが英語で書いたアメリカ文学の作品であるが、文学にとどまらずさまざまな領域の専門家によって論じられてきた。日本では、文学をはじめ社会学や心理学のアプローチなどからこの小説の世界が取り上げられてきた。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第22回 これは小説ではない?初版時の評価や反応
Ryusuke Kawai
「ノーノー・ボーイ」の初版が出版されたのは1957年5月。前年日本は国際連合に加盟し国際社会へ仲間入りし、国内的には高度経済成長へと向かいはじめた。アメリカでは55年にアラバマ州モンゴメリーでのバス・ボイコット事件をきっかけに公民権運動が高まってきていた。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第21回 “パールハーバー”の日を迎えて ~「毎日メディアカフェ」で『ノーノー・ボーイ』を語る~
Ryusuke Kawai
安倍首相が、今月26,27日にアメリカ・ハワイを訪れ、オバマ大統領と会談し、真珠湾(パールハーバー)攻撃による犠牲者を慰霊するというニュースが先日流れた。現職首相が真珠湾を訪れ慰霊するのは、正確には初めてではないようだが、私たちの記憶のなかで、首相が公式に、日米開戦の地を訪れ慰霊すると国民に発表したのは初めてである。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第20回 新たな訳で日本で出版
Ryusuke Kawai
新たな日本語版『ノーノー・ボーイ』が、来月ようやく出版されることになった。出版社は旬報社(東京都文京区)で、労働や福祉を中心に社会問題や生活にかかわるテーマの本を出版している会社である。これまで英語版は18刷りで15万部を超えるロングセラーになっている。翻訳もかつて出されたが、ここ10年ほどは日本語では読めない状況がつづいていたので、日本の読者へ久しぶりに装いも新たに、届けることができるようになった。
「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第19回 第11章(終章)~希望の兆しなのか
Ryusuke Kawai
戦争が終わって故郷のシアトルに帰って来たイチローのその後数日を周囲の人間とのかかわりなかで描いた「ノーノー・ボーイ」は、イチローの内面の独白が軸になっていて、物語性は強くはない。それでも、イチローが苦悩しながらどんな生き方を見つけていくのか、苦悩から抜け出す道はあるのだろうかと読む者は考える。