7 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: 青木・ジューン・美智子(ジューン・ミチコ・アオキ)さん
Licensing |
日本の学校で使用する教材作成のために、全米日系人博物館でボランティアガイドをしている帰米三世の青木・ジューン・美智子さんにインタビューをしました。初めて出会ったその日、二世ウイークパレードで躍る音頭「WAになって躍ろう」の練習に誘ってくださりました。日本の故郷は和歌山だそうで、「さば寿司」もご自身でおつくりになる腕前だそうです。 >> インタビュー記録の印刷 (PDF) © 2008 多文化社会米国理解教育研究会
Slides in this album |
|
日本の和歌山からロサンゼルスへ 生活に苦しかったので、日本にいれば安心という両親の考えがありました。1歳半の時、姉と一緒に日本へ行きましたが、母はアメリカへ戻りました。田舎でおばさんと一緒に住んで和歌山市の日進中学で学び、14歳のときにアメリカに帰りました。 注)This is a picture of Shigezo and Chotaro Tashiro of Miami Beach Nurseries in Florida, ca. 1922. It was a gift to the Japanese American National Museum, from the Tashiro Family (93.63.18)
Miami Beach Nursery |
教員からカウンセラーへ大学を卒業後、中学校で15年間家庭科の教員をしていました。50歳ころ、1978年に大学へ戻り成人学校のカウンセラーの免許を取り20年あまり働きました。合計37年間です。ロサンゼルスは移民が多いので夜に英語を学ぶ人のためのカウンセラーをしていていました。日本と違って成人学校(アダルトスクール)はたくさんあります。
Classroom of Tanka Poetry, Japanese Art & Culture Institute |
全米日系人博物館でボランティア 62歳からこの博物館でボランティアをしています。写真を撮るのも旅行をするのも好き。キルトも習い始めました。仕事をしているときはそんなチャンスがなかったので。 |
強制収容を語る一世がいなくなるあの頃の日系一世は、政府の言うことは正しいと思っていたのか、誰も政府の言うことに反対して行動する人が少なかったのです。だから12万人の日系人が、政府の言うとおりに収容所へ行き、何も文句を言わずに従ったのです。
Heart Mountain Train- National Archive Item |
収容所内の生活今までできなかった友達ができたというプラス面もありました。小さな子ども時代に強制収容を体験した人は楽しかったというけれど、本当につらい思いをした一世の人たちが既に亡くなっていて、1番困った人の話を聞けなくないのが悲しいです。つらい思い出を言わないまま死んでいった人も多いのです。私の母も弟を連れてキャンプに入ったのですが、生活が苦しかったことなど話しませんでした。
Community Christian Church, Heart Mountain (Evans_03) |
日本の音楽童謡、自分が小さいときに聞いた昭和の歌を思い出します。テレビが普及するまでは、日本に関するものはロサンゼルスに3ヶ月に1回買い物へ来て、本屋やレコードを買いに行ったりお店をまわったりして情報を得ていました。リトル東京は、週末、田舎から出てきた人が多く集まりにぎわっていたものですよ。 |
おふくろの味母が生きているときは毎日日本食でしたけれど、今はリトル東京に来た時にお弁当を食べるくらいです。和歌山出身なので母から習ってさば寿司もつくれますよ。冷やしそうめんやざるそば、パスタなどの麺類が好き。お正月にはおせち料理もつくります。和歌山の御坊で有名な「なれずし」も好きです。
おふくろの味: なれずし |
アメリカに渡ろうとする日本人へ一言合衆国はいろいろな人種によってできている。メキシコ人、黒人、いろいろな文化を理解して視野を広げて。遠慮なく話して下さい。 プロフィール
日系アメリカ人の個人史をつむぐ - 青木June 美智子(ジューン・ミチコ・アオキ)さん |