>>その1所内には戦場で使用するカモフラージュネットの工場があり、住民に戦争努力への貢献を求め、市民権を持つ人のみが働くことを許された。また、早くも1942年9月から戦時転住局の斡旋で、綿花摘みの労働者が求められた。アリゾナ州は全米の4分の3の量の長い繊維の綿花を産出し、それは戦時国防必需品であった。戦時中の労働者不足のため、収穫には収容者の労働力がぜひとも必要であった。戦争努力に貢献すると同時に賃金も得られるとあって、多くの男女が応募し、一度に約100名ずつ外部へ就労していった。
1943年2月に忠誠登録が行われたが、ヒラでは目だった混乱はなかった。登録拒否を強要した者が当局から注意を受けたくらいであった。3月はじめまでに17歳から38歳の男女で登録した者は5,200名であった。ヒラで問題とされたのは政治的なことではなく、もっぱら賭博や青少年の不良化といった社会問題であった。いずれの収容所にも程度の差こそあれ、このような問題が存在したが、ヒラでは合衆国に忠誠な者、不忠誠な者との間の深刻な対立がなかったために、社会問題がいっそうクローズアップされたのであろう。
1942年秋から、「山の市」で賭博によって24名の検挙者を出す騒動が起こっている。当局は、職業的に賭博場を開く者があり、善良な人々を誘惑して金銭を巻き上げているとして厳重に取り締まった。賭博をした者は、発覚する逮捕されて、…