Noriko Shimada

日本女子大学名誉教授。専門研究分野は日系アメリカ人史。研究テーマは、西海岸における日系アメリカ人の太平洋戦争体験、ハワイにおける日系人の太平洋戦争体験、ハワイ日系人の短詩型文学にみる日系人社会の変容、ハワイのオキナワン社会のアイデンティティの変容、戦争花嫁と写真花嫁等。著書および研究論文多数。主要な著書は、『日系アメリカ人の太平洋戦争』(1995、リーベル出版)、『戦争と移民の社会史-ハワイ日系アメリカ人の太平洋戦争』(2004、現代史料出版)、編著『写真花嫁・戦争花嫁のたどった道―女性移民史の発掘』(2009、明石書店)。

(2013年8月 更新) 

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Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity

第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その3/3

その2を読む >>6.戦後のハワイ日系社会戦争終結後は、日本人社会ではエスニック文化が一気に復活した。戦後のハワイ社会は日系文化にたいして非常に寛容で、「非アメリカ的」という激しい攻撃を受けることもなくなった。重要な制度であった日本語学校、仏教寺院、神道神社が再建された。日本人社会の生活習慣や行事等にも復活した。 久さびさに雛なつかしく飾りけり 川本恵子 なつかしき人の集ひや初句會 豊村 四年ぶり日本映画や初興行 恵子 戦後の日本人社会は、戦争中の軍需景気の恩恵を受けて蓄財がすすみ、好景気であった。人々は派手に消費した。大きなダイヤモンドの指輪が光っていたり、結婚式や出征祝いに多額の金が使われたりした。 五年目の友は成金Aクラス 一涙 マリ・リングその昔なら家が建ち 柳子 日本文化のリバイバルと並行して、ハワイ社会に寛容に受け入れられた日本人は、多民族社会ハワイへの同化に向かっていった。 伝統を捨てて二世に親しまれ 曲水 うろ覚え孫に合せて米国歌 日出子 1952年のマッカラン・ウォールター法によって一世にも帰化の道がひらかれると、日本国籍を保持するか、アメリカ国籍を取得するかの選択に直面することになった。 親と子の悩みも籍のありどころ 君子 帰化が是か帰化せぬが否か弥生月 横山松青 それまで日本人であることを声高に誇って…

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第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その2/3

その1を読む >>3.二世部隊 ハワイの日系二世といえば、第100大隊、そして第442戦闘部隊はあまりにも有名である。彼らの輝かしい戦功・犠牲によって日系人の忠誠が証明されたといわれる。息子を軍隊に送り出すことによって、一世はアメリカへの恭順を示した。しかし、二世兵士の心情を思いやる一世、また兵士の親たちの悩みは深かった。 生みの親と育ての親の争ひに二世は迷ふ荊(いばら)踏む道 相賀渓芳 割り切れぬ千々の悩みに踏み迷ふ二世の親の心淋しも 相賀渓芳 敵とならん子の入営を微笑みつ 横山松青 開戦時から存続していた正規の二世陸軍兵士1,432人は他と分離され、白人士官9名とともに「ハワイ緊急大隊」という特別組織に投入され、1942年6月5日、密かにアメリカ本土に向けてホノルルを出港した。彼らは「第100大隊」と名前を変え、9月に北アフリカのアルジェに上陸。その後イタリア各地を転戦した。激戦のカッシノでは、200人の兵士が出撃し、生きて帰ってきたのはたった23人のみであった。1943年秋頃から、ハワイの日本人社会では、戦死した二世の葬儀が相次いだ。戦死者は、ホノルル市内のパンチボールの丘にある国立墓地に埋葬された。 カシノ戦記念の紫心章へ泣き 斧平 歐州の戰野をめぐる愛子に恙(つつが)なかれと夜毎念ずる 泉さだを 盆丘(パンチボール)の国立墓地に…

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第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その1/3

はじめにこの発表は、ハワイの日本人移民一世の短歌・俳句・川柳を素材として、彼らの日本人意識、祖国への忠誠と移住地アメリカへの同化に焦点をあわせて、その変化を追うものである。取り上げる期間は、1931年の満州事変から、太平洋戦争を経て、1952年のサンフランシスコ講和条約発効に至るまでの、波乱に満ちた約20年間である。 この間、一世の法的地位・社会的立場は大変動を経た。戦前、日本人移民に帰化権はなく、一世は日本国籍の日本人であったが、ハワイ定住を決心しており、子どもたち二世をアメリカ人として育てた。一世は日米開戦とともに「敵性外国人」となり、日本人としての誇りや文化を抑圧される中で、アメリカへの恭順を表明し、息子をアメリカ軍に送り出した。戦後は、日本の敗戦に打ちひしがれた一世であったが、1952年マッカラン・ウォールター移民帰化法成立によって念願の帰化権を付与され、アメリカ国籍を取得していった。 一世の文芸作品を分析すると、その間一貫して、祖国への想いが姿を変えつつも維持され、日本文化や価値観が保持され続けたことが見えてくる。一世移民は、日本とアメリカに対する二重の属性を戦前、戦中、戦後と、形をかえて保持し続けたのである。その二重性のゆえに、戦争は、一世の心を引き裂いた。一世は、戦争中も短歌や俳句に日々の感慨を綴り続けた。詩を作ることは、彼らの人間としての尊厳を保つ方法の一つで…

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ドラマ『99年の愛』― 時代考証を振り返って

(編集者注:本稿は、シアトルで行われた全米日系人博物館による全米カンフェレンス『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』での日本語セッション「99年の愛/憎しみ(99 Years of Love / Hate)」(2013年7月6日)で発表された原稿です。) はじめにテレビドラマの脚本の時代考証は初めての経験であった。我々3人(飯野正子、粂井輝子、島田法子)は、『99年の愛~Japanese Americans~』の脚本の中にある歴史的にみて不適当ではないかと思われる点をリストアップし、TBSのプロデューサーや担当者に提出し、彼らを通じて脚本家の橋田寿賀子氏に検討していただいた。 我々が一番迷いまた考えさせられたことは、フィクションであるこの作品に、歴史研究者として歴史的に正確な裏付けを、どの程度まで求めることができるのか、あるいは必要とされるのか、と言うことであった。 歴史的誤りを指摘するリストは数ページに及んだ。それによって修正されたことも多かったが、受けいれられなかったこともいくつかあった。すなわち、脚本を修正するかどうかの判断はTBSと橋田氏に委ねられていた。 我々は、多少歴史的に不正確であっても、それがドラマを盛り上げるために必要とされることで、また大きく歴史を捻じ曲げるものではないという判断で、最終的には合意した。また今…

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