Keiko Fukuda

Keiko Fukuda nasceu na província de Oita, se formou na Universidade Católica Internacional e trabalhou num editorial de revistas informativas em Tókio. Em 1992 imigrou aos EUA e trabalhou como editora chefe numa revista dedicada a comunidade japonesa. Em 2003 decidiu trabalhar como ¨free-lance¨ e, atualmente, escreve artigos para revistas focalizando entrevistas a personalidades.  Publicou junto a outros escritores o “Nihon ni Umarete” (Nascido no Japão) da editora Hankyuu Comunicações. Website: https://angeleno.net 

Atualizado em julho de 2020 

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アメリカの日本語媒体

第5回 1992年創刊『U.S. FrontLine』 - 全米をカバーする情報誌

広大なエリア、幅広い層の読者

これまで紹介してきた日本語媒体は、ロサンゼルス、シアトル、ニューヨーク、サンフランシスコのいずれか、または複数の特定の地域にフォーカスしていたが、今回紹介する日本語の無料誌『U.S.FrontLine』は、日本人コミュニティーが存在する全米の多くの地域に配布されている。

「カリフォルニアのロサンゼルス、サンフランシスコ周辺、ニューヨークの3地域での配布数が最も多く、それ以外にもジョージア州アトランタ、イリノイ州シカゴ、オハイオ、さらに数年前にカリフォルニアからトヨタが本社を移転させたテキサスなど、全米各地の日系企業が多いエリアに配布しています。読者は基本的に日本からの駐在員ですが、その枠にとどまらず、ビジネス情報、教育、法律、健康、旅行、エンターテインメントまでをカバーしているので、アメリカ在住の日本人読者の幅広い層に読まれています」と説明してくれたのは、同誌編集長の齋藤春菜さん。

同誌がユニークなのは全米をカバーする媒体という点だけでなく、裏表紙からは中国語の別の雑誌が始まる、2種類の雑誌が合体している点だ。その中国語の雑誌『J-goods』は、在米中国人向けに日本の商品や文化を紹介するもの。数年前からの『J-goods』との合体によって、全米の中国系マーケットにも『U.S. FrontLine』は配布されることになった。

私の記憶では、『U.S. FrontLine』の本社はかつてニューヨークにあった。その時は現在のレターサイズより大判で、かなり長い間、週刊誌として発行されていた。その後、同誌はIT企業の傘下に入り、本社をロサンゼルスに移転、現在は隔月刊誌となり、毎号32ページから40ページのボリューム。雑誌自体の発行が2カ月に1回、また誌面が限られていることもあり、雑誌に収まりきらない情報や最新のニュースや告知などは頻繁に更新されるウェブサイトに掲載されている。

雑誌のコンテンツは、毎号数ページのテーマを絞った特集記事、他にエッセー、教育、英会話といったアメリカ生活に関する連載コラムだ。読者に人気があるのはどのような記事だろうか。「雑誌から人気記事がどれかを知るのは難しいのですが、オンラインの記事での閲覧数から見ると、教育関係の記事への関心度が高いようです。他にも、移民法や雇用ルールに関する記事など日系企業にとって重要な情報は多くの方に見ていただいています」。

紙媒体のメリットとは? 

特定の地域にフォーカスしていない全米版の媒体であることから、「今、アメリカで何が起こっているのか」というテーマを取り上げることが鍵になると齋藤さんは話す。「特集企画は、営業を含む雑誌に関わっている3、4名で話し合って決めています。常にオリジナルで新しい情報を読者に届けるように心がけています。世の中の動きや注目度の高いテーマは何かをよく見て、たとえすでに知られているような情報であっても違う角度から切り込むことで面白いと思ってもらえるように、飽きられないように工夫しています」。

また、親会社がIT企業であり、IT、メディア以外に人材紹介、会計アウトソーシングの事業も行っていることから、「今後は弊社の他事業部のスタッフが持っている専門知識も、誌面に応用していきたいと考えています」とのことだ。

前述のように『U.S. FrontLine』の場合、雑誌だけでなくより豊富で最新な情報が掲載されているウェブ版も運営しているが、全てをウェブにする計画はないのか齋藤さんに聞くと、次のように答えた。「雑誌は“これ(特定の記事)を見たい”と思った読者に手に取ってもらえるものです。毎号読んでいただいている読者は雑誌をピックアップすることが習慣になっているので、確実にその情報を届けることができます。一方で、オンラインの世界では、人々は自分が欲しい情報を検索して不特定のウェブサイトにたどり着くので、必ずしも『U.S. FrontLine』のサイトに来てくれるとは限りません。ウェブだけに絞ってしまうと読者を限定してしまうことにもなってしまいます。時代の流れとしてはウェブに完全移行するという考え方もありですが、そのためにはデメリットを克服できるような運用方法を精査する必要があると考えています」。

さて、斎藤さん自身もまた、同誌の読者と同様に「アメリカで生活する日本人」の一人だ。「アメリカで働きたいと思って、今の仕事に応募して、2017年6月に入社しました。もともと日本の出版社で雑誌の編集をしていました。日本では8名くらいの編集スタッフで雑誌を作っていたのですが、現在は、雑誌もウェブ版も編集作業は基本的に私一人で行っているので、以前より責任重大です」。

編集者としては、常に四方にアンテナを張り巡らせている。「広告のクライアントである日系企業の方にお目にかかる機会も多いので、その際には日系企業にとって何が関心事なのか、何が周囲で起こっているのかについてお話を伺うようにしています。あとは、アメリカのニュースはもちろんですが、日本のニュースもオンラインで追いながら、最新のトレンドに遅れないように努めています」。

全米をカバーする日本語の無料情報誌は『U.S. FrontLine』を置いて他にない、唯一無二の存在だ。これまでに形状や発行頻度含めて、何度か「変身」しながら発行されてきた同誌の今後を、ウェブ版との共存や棲み分けも含めて見守っていきたい。

『U.S. FrontLine』公式サイト:https://usfl.com

 

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アメリカの日本語媒体

第4回 1999年創刊『週刊ベイスポ』— ベイエリアで愛される週刊紙

SFの無料媒体の先駆け

最近、フェイスブック内のコミュニティー、「在米日本人」を覗くことが多い。そのコミュニティー内でよく見かける投稿が、「●●エリアに引っ越します。現地のお勧めの日本語情報誌を教えてください」というもの。南カリフォルニア在住の筆者にとって、それがロサンゼルスの話ならすぐに私からもお勧めの媒体を書き込めるのだが、同じカリフォルニアでもベイエリアの日本語媒体事情には正直疎い。そこで、一方的に傍観者的に見ているわけだが、ベイエリアのお勧め日本語メディアとして現地在住者から挙げられるのが『週刊ベイスポ』だ。発行人の小野里晃さんに話を聞いた。

「『週刊ベイスポ』は1999年に創刊しました。サンフランシスコやシリコンバレーを含むベイエリアに毎週2万部発行しています。読者は全方位の老若男女です。この地域には日本人が5万人から6万人在住していると言われています」。

創刊のきっかけは、「野茂英雄の試合を見るためにロサンゼルスに通っていた時に目にした『日刊サン』」だと小野里さんは振り返る。『日刊サン』と言えば、ロサンゼルスで発行されているスポーツとエンターテインメントを中心にカバーする日本語新聞だ。「1995年当時、ロサンゼルスに来るたびにあの新聞を読むのをとても楽しみにしていたのです。サンフランシスコにもこんな新聞が欲しいとずっと思っていました。そこで、私自身が発行人となり、日刊ではなく週刊にして、スポーツと芸能、ローカルのトピックを掲載する週刊紙として誕生させました」。

それまで、ベイエリアは有料媒体の天下だった。「ロサンゼルスには『ライトハウス』や『ブリッジUSA』、そして『日刊サン』のような無料紙がありましたが、サンフランシスコで読まれていたのは『朝日新聞』、『北米毎日』、『日米時事』といった有料のものばかりでした。今まで生き残ることができた秘訣?日本のスポーツと芸能の情報に関しては日本のスポーツ新聞社と提携して入手、また時事ネタは通信社から購入しました。こうすることで日本の最新情報を掲載しながら、(人件費などの)コストを下げることができたことが大きかったと思います。日本の情報を読みたいという読者のニーズにもマッチし、さらに先ほど申し上げたように、他に日本語の無料紙がなかったこともうまく受け入れてもらえた要因だと思います」。

その後、インターネットで日本のスポーツと芸能情報を入手できるようになると、『週刊ベイスポ』もコンテンツに変化が見られるようになった。より地元の生活情報に紙面が割かれるようになったのだ。「現在ではレストラン情報はもちろん、クラシファイドに至るまで生活情報全般をカバーしています。今、読者からよく読まれているのは、商業開発や犯罪に関することなど、ローカルのトピックです。肩に力を入れずに、ベイエリアで今何が起こっているのかを気軽に日本語で読んでもらえるという点に需要があるんじゃないかと分析しています」。

情報が集まってくる 

2021年現在は「ベイエリアに『週刊ベイスポ』あり」と定着した人気を保持しているが、ここに来るまでの苦労談を聞こうとすると、小野里さんは次のように答えた。「苦労したのは、創刊当初の半年間です。無料なのにピックアップしてもらえない、ピックアップしてもらえないから広告を集めるのも難しいという悪循環に陥っていました。しかし、手に取ってもらえるようになると、あとはもう読者の方にとっては(ピックアップが)習慣となり、ずっと今に至ります。ただ、パンデミックの間はやはり大変でしたね。広告の出稿主の事業が大変な状況で、広告どころの騒ぎではなくなりました。そこでうちのスタッフがクライアントのところに出向いて何かお手伝いできることがないか、と関係性を維持することに努めました」。

大変な時も出し続けることが大切なのだと小野里さんは言う。「長くやっているので、自然とうちに(ベイエリアの日系社会の)情報が集まってくるのです。また、シリコンバレーはグーグルやアップルの本社があり、非常にビジネスが活発なエリアです。日本からの人がどんどん当地に移住してきます。コロナまでは、日本人人口が増え続けていました」。

さらに、小野里さんの会社では出版社として、年一度、ベイエリアの生活情報をまとめたムック『eじゃん』も発行している。今後のビジョンを聞くと、「オンライン化に本腰を入れていきます。紙面の情報を電子版としてサイトで見られるだけでなく、ウェブサイト独自のコンテンツも拡充していく予定です」と、エリア外の読者にとっても楽しみな計画を話してくれた。

小野里さんは最後に、創刊しようとしていた22年前のエピソードに触れた。「野茂の試合をロサンゼルスに見に行っていた時に、リトルトーキョーの一人しゃぶしゃぶの店がお気に入りだったんです。それで、『週刊ベイスポ』の創刊準備で日本のスポーツ新聞社と話を詰めていた時、なかなかいい返事がもらえなかったので、新聞発行は諦めて、サンフランシスコでしゃぶしゃぶの店を開けようかと方向転換しようとしていました。そんな矢先、スポーツ新聞社が返事をしてきてくれたために、しゃぶしゃぶ屋の方はやめました。あの時、もし、しゃぶしゃぶの方に進んでいればビジネスとしてはもっと儲かっていたかもしれないですね(笑)。でも、やっぱりメディアで良かったと思っています。色々な人と出会える楽しい仕事だし、何より現地の日本のコミュニティーから求められているという実感が得られますから」。「小野里さんがしゃぶしゃぶビジネスに進まなくて良かった」、そう思っているのは本人以上にベイエリアの読者たちに違いない。

公式サイト『週刊ベイスポ

 

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アメリカの日本語媒体

第3回 1902年創刊『北米報知』アメリカで現存する最古の日系紙

9割が英語の紙面に

アメリカで最も古くから発行されている日系新聞は、ワシントン州シアトルに拠点を置く『北米報知(The North American Post)』だ。ただし、創刊時の紙名は『北米時事(The North American Times)』であり、その創刊は1902年に遡る。古くから日系社会が形成されていたシアトルで、最初の発行人である隈元清氏ほか数名の1世たちが立ち上げた同紙は戦前までは邦字日刊紙として発行部数約1万2千部を誇っていた。地元シアトルだけでなく、ポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち展開していたそうだ。

しかし、第二次大戦時に幹部がFBIに連行されるなどで1942年3月に廃刊。発行の中核を担ったスタッフが街に戻ってくると、『北米時事』の政治色は抑えられ、コミュニティーのための告知メディアにそのコンセプトを一新して『北米報知』として再創刊された。その後、日本語を読む日系1世の人口減少と共に購読者も減っていく一途だったが、1988年、シアトルを中心にノースウエスト地域に日本食マーケットを展開する宇和島屋の社長(当時)トミオ・モリグチ氏が発行人として名乗りを上げた。こうして歴史ある日系新聞の存続が維持されることになった。そして、日系人の世代の変化に合わせて、2005年に無料配布を開始、2017年以降は大幅に英語のセクションを増やし、現在では紙面のうちの9割が英語紙面で、3世以後の日系・アジア系アメリカ人をターゲットに据える新聞に生まれ変わった。現在の発行は、月2回で部数は月に1万5000部だ。

一方で、2012年には1992年創刊のシアトルの日本語情報誌『ソイソース』を買収。これによって、North American Post Publishing Inc.は、日系人向けには『北米報知(The North American Post)』、そして日本人向けには『ソイソース』という2種類の媒体の発行元となった。

このような歴史について教えてくれたのは、現在『北米報知』の編集長兼ゼネラル・マネジャーを務める室橋美佐さん。室橋さんに「どのような記事に人気があるか」について聞くと次のように答えた。

「日系3世もすでに50代、60代となりリタイヤする時期を迎えています。仕事も終えた彼らにとって次に向く関心というのが、ファミリーのルーツなのです。ですから日系のファミリーの歴史に関する記事が特に人気です。そうした記事の取材対象を探すのに苦労はありません。シアトルの日系コミュニティーの結束は強く、皆知り合いです。特に広島や熊本などの県人会やシアトル別院仏教会などの日系教会、またワシントン州日本文化会館やDenshoなどの非営利団体も活動が活発で、そうした団体で皆さんのつながりが保たれています。コロナの時期は新年会などのイベントは中止となりましたが、普段は私もそのような団体のイベントに参加させていただいています。ワシントン州日本文化会館は、1902年に創立された国語学校の校舎を活用して日系文化を若い世代へ伝えています。Densho(伝承)は、ファミリーヒストリーの口承を記録する映像、写真、古新聞などのデジタル保存を行っている団体です」。


日系人と邦人の橋渡し

日系人たちの家族の歴史に関する記事は、前述の姉妹紙の『ソイソース』に日本語に翻訳して転載している。「『北米報知』は日系人を対象にした媒体、そして『ソイソース』は日本人対象の媒体で、双方の情報を交換することで両者の架け橋になることを目指しています。日系アメリカ人のコミュニティーと日本人のコミュニティーは、近そうで遠い存在です。まず、言葉の壁があるということが一番の理由だと思います。日本人には日系人の歴史を伝え、日系人にも日本からアメリカに来て活躍している人のことを知らせることで、その間の壁を少しでも取り払いたいのです。英語で書いた記事を日本語に、また日本語の記事を英語にして、互いの歴史だけでなく今抱えている問題についても知らせる意義はあるはずです」と室橋さんは、記事の転載でコミュニティー間のギャップを埋めることに今後も力を尽くしたいと話す。

しかし、問題はやはり経済面だ。「紙面の広告収入や購読費だけでは厳しい昨今、媒体以外にも収入の道を模索してきました。近年で特に好調なのが、日系アメリカ人を対象にした日本への旅行事業です。10年程前から始め、ここ数年で運営ルーティンが確立されてきて、リピート客も増え、しっかりと利益を出して運営できるようになりました。媒体事業は公共性が高いので、コミュニティーへの貢献と、収益を意識した経営とのバランスが常に課題だと思います。ゼネラル・マネジャーとしては、『北米報知』の歴史を続けていくためにも、収益を確保できる媒体運営も意識しています」。

北米報知財団というNPOも2011年に立ち上げられ、昔の記事をデジタルにアーカイブ化して、シアトル地域の日系の歴史を保存、伝承するというプロジェクトにも取り組んでいる。「日系移民の歴史保存や、その歴史を若い世代に伝えていくような非営利事業は、こちらの北米報知財団で行政支援やコミュニティーからのドネーションを受けて活動していきます」と、室橋さん。

ところで北米最古の日系紙として、今後も紙の印刷にはこだわっていくのだろうか?「インターネットの情報と紙の情報とはその特性が異なります。インターネットの場合は、見る人がキーワード検索などで自分が欲しい情報だけを入手します。しかし、紙の媒体の場合は、新聞を手に取ることで見る人が意図しない情報を伝えることができるのです。まだ紙媒体の存在意義はある、と信じています」。

そして、2022年、『北米報知』は創刊120周年を迎える。「創刊120周年企画の一環として、『「北米時事」から見るシアトル日系移民の歴史』という連載記事が5月にスタートしました。おじいさまがシアトル在住の日系人だった日本の方が、戦前の日系社会について『北米時事』のアーカイブ記事を読んで執筆してくださっているものです。オリジナルが日本語の記事を、全米日系人博物館のプロジェクト、ディスカバー・ニッケイとのコラボレーションによって英訳もしています。さらに日系アメリカ人の歴史に関するオンラインセミナーも、120周年に向けて更に多く開催していきたいです」。

室橋さんは、以前はシアトルで『Ibuki』という誌名の日本文化を英語で伝える雑誌を発行していた。その後、育児に専念していた期間を経て、4年前に『北米報知』の編集長兼ジェネラルマネージャーに就任した。今後も経営面と編集面の両方に目を配りながら、同時に日系人社会と邦人社会の橋渡しにも寄与してほしいと願う。

 公式サイト
・『北米報知
・『ソイソース

 

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アメリカの日本語媒体

第2回 2004年創刊『週刊NY生活』- 独自取材を続ける無料紙

読者がいる限り

ニューヨークを中心に米国東海岸で2万部発行されている日本語媒体の『週刊NY生活』は2004年創刊。アメリカ生活が長い人は、同紙の歴史が20年も経っていないことを意外に思うかもしれない。筆者もその1人。理由は同誌の発行人兼CEOの三浦良一さんと社長兼COOの久松茂さんが共にアメリカで発行されていた『読売アメリカ』出身であり、『読売アメリカ』の印象が色濃く感じられるせいだ。筆者自身、90年代、勤務先に送られてくる『読売アメリカ』の生活情報からエンタメ、アメリカの動向までバラエティー豊かな記事を読むのが毎週の楽しみだった。

今回取材に応じてくれた三浦さんは1985年に読売新聞が米国現地版(後の『読売アメリカ』、当時の名称『ニューヨーク読売』)を発行するのに伴い、それまで勤務していたロサンゼルスの経済新聞から転職、2003年に『読売アメリカ』が撤退するまで同紙の編集部記者、そしてデスクとして勤務した。しかし、同紙の撤退が決まったときに「読者がいる間は日本語の情報紙を届けたい」との気持ちから久松さんと共に起業したのだと言う。

「大判の新聞サイズからタブロイド版に変わった以外は、『週刊NY生活』の内容面はかなり『読売アメリカ』を踏襲しています。読者は駐在員、留学生、永住者が混在しています。その点、以前いた西海岸には日系アメリカ人が多かったですが、ニューヨークでは日系の方にほとんどお目にかかることはありません。ですから、いずれは日本に帰る読者が多いこともあり、帰国受験などの教育関連の記事に人気がありますね。他はビザや健康に関する記事も注目されます。鍵は読者にとって必要な情報でありながら、『ニューヨークタイムス』などの英語の媒体では取り上げられないもの、そして日本語では読めない情報を提供することです。そのために、どんな小さな記事であっても、自分たちで取材して執筆しています。読者が他で目にすることがない独自の記事が掲載されているという点が強みであり、私たちの記事を見て大手の日本のメディアから問い合わせをいただくことも少なくありません」と、三浦さんは『週刊NY生活』の「独自取材」に自信を見せる。

それでは一体、何人で取材しているのだろうか、との質問をぶつけると「4、5人の外部ライターさんに協力してもらっていますが、専属は私1人です」との回答だった。「もちろん全部私だけでやっているわけではありません。営業の人間が2人います。しかし、彼らは現在リモートワークなので、マンハッタンにあるオフィスに出勤しているのは私1人です。取材、執筆、編集作業以外に印刷所の立ち合いもあります。また、マンハッタン内の配達も営業の責任者と私とで担当しています」という話を聞き、「少数精鋭」という言葉が頭に浮かんだ。


今後は「老後の選択肢」を

次に『週刊NY生活』の紙面構成の上でのモットーを聞いた。

「起こったことをできるだけ早く正確に伝えることです。そういう役目を担っています。『これは伝えないといけない』という新しい情報以外に、『これを読んでもらうことで読者に喜んでもらいたい』という情報も掲載しています。後者に関してはアメリカで有名になった人のインタビューや、今は無名だけどこれから名を成すだろうという人のインタビューなどです。できるだけ早く正確に、と言いましたが、週刊なので日刊ほどのスピーディーさはありません。しかし、35、6年続けている仕事を通して、ずっと週刊紙に携わってきました。水曜に印刷して木曜に発行するというリズムが体に染み付いているんですね。これ以外のスケジュールに変えるとしてもどうしたらいいのか分からないというのが正直なところです(笑)」。

発行を続けることの苦労を聞くと、編集長であると同時に発行人でもある三浦さんは次のように答えた。

「そこはやはり広告収入ですね。日米間の旅行を扱う代理店やホテルなどのクライアントが、このパンデミックの時期、厳しい状況でした。でも、コロナが収束すればまたビジネスが始まります。またうちのサービスを利用してください、という広告を打たないといけなくなるはずです。その時期に備えて、とにかく発行を続けるということが私たちの使命です」。

さて今後、新しい企画を開始する予定はあるのだろうか?

「これから高齢になってくると、日本に帰る(引き揚げる)読者が増えてきます。帰国に役立つ情報や、また自分はまだでも日本の親が介護施設に入ることを海外から心配している読者のための情報の提供に力を入れていきます。さらにアメリカで老後を迎える可能性がある場合、ここでどのような選択肢があるかについても取材していきます。実際に読者からの要望も寄せられています」。

日本への帰国に関しては、すでに『ふるさとプロジェクト』と題し、オンラインセミナーを開催している。

アメリカで暮らす人々のために日本語で情報を届けること、経済紙時代も入れれば40年超の三浦さんに「編集者としてのやりがい」を聞いた。

「伝えることの喜びですね。それが支えになっています。紙面を通じて情報を伝えることで、救われる人もいるだろうし、喜んだり悲しんだり、また社会とのつながりを実感してもらうこともできるでしょう。ですから、私の仕事のモチベーションは自分のためと言うよりも、読者が見てくれることの喜びです」。

その言葉は「伝えること」を生業にするライターの私の胸に深く響いた。


* 電子版が読める『週刊NY生活』公式ウェブサイト

 

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アメリカの日本語媒体

第1回 1989年創刊『Lighthouse』 在米邦人の生活情報誌

読者の課題解決のために

筆者が渡米したのは1992年。今も暮らすロサンゼルスで当時発行されていた日本語の紙媒体は、『羅府新報』、『Gateway USA』、『US Japan Business News』、『TV FAN』、『Bridge USA』、『Lighthouse』だったと記憶している。そして、私は渡米半年後に『Lighthouse 』に入社することになり、そこで独立するまでの11年間、編集者として働いた。私にとっての在米日本語媒体は、アメリカに残る道を与えてくれたという意味で思い入れのある存在であり、数多の新しい媒体が誕生しては消えていく中、今も発行を続けているサバイバーには尊敬の念を禁じ得ない。そこで、ロサンゼルスに限らず、全米各地で発行されている媒体の編集責任者や担当者に、それぞれの媒体の生き残りの策について聞いてみようと思い立った。その第1回では私の古巣でもある『Lighthouse』。同誌編集長、東條憲太郎さんにご登場いただく。

『Lighthouse』が創刊されたのは1989年、コンセプトは「在米日本人のための生活情報誌」だ。記事は2本の特集、インタビュー、グルメ、教育、税金、移民法、エンターテインメント、コミュニティーのイベント、クラシファイドと多岐にわたり、情報として読ませるタイプの記事広告も多い。現在は発行部数5万部のロサンゼルス版以外にも、サンディエゴ版、シアトル・ポートランド版、ハワイ版も発行しており、その他に提携誌のシカゴの『Q』マガジンに記事を提供している。

編集記事の柱は東條さんによると3本。「『課題解決』、『勇気、元気』、そして『うるおい』を与えることです。具体的には『課題解決』の記事では、どうやってアメリカの大学に進学するかなどといった悩みを専門家に取材した情報を通じて解決に導くこと、また『勇気、元気』はアメリカで活躍する人物を取材し、彼らの成功談や苦労話を伝えることで読む人に勇気と元気を与えること、そして『うるおい』は旅行やレストランなどのお出かけの情報を提供して生活に潤いを与えることを目指しています。最近はインターネットで情報が簡単に手に入る時代です。そこで、『Lighthouse』でないと入手できないような記事にすることを常に念頭に置いています。少し前に掲載した『アメリカの防犯』という特集記事を例に挙げると、治安のデータやヘイトクライムのニュースなどネット上に断片的には転がっていても、それを多角的に構成してその特集記事だけで今のアメリカの防犯面で知っておくべき状況を把握できる内容にまとめられたと思います」。

読者に求められている記事にするために読者調査を定期的に実施しているだけでなく、特集記事は読者の要望に加え、編集部員とさらに30名ほどの全社のスタッフで意見を寄せ合って、1年分を事前に決定している。ちなみにロサンゼルス版は月に2回発行、しかも1号に2本の特集記事が掲載されるので、1年分の特集企画は約48本という計算になる。

スマホで読めるアプリ開発

次に特集記事を企画する際の鍵を聞いた。「老若男女、どの読者層からも面白いと思ってもらえるような誌面にすることです。例えば2019年の2月1日号を例に取るとメインの特集は『メトロで遊ぼ!』、サブは『リタイヤ後は日本の地方で暮らす』です。他の雑誌にはないだろうなと思うほど、1冊の中での振り幅が大きいんです(笑)」。日本で発行している雑誌のように、女子高生向けのファッション雑誌、ビジネスマン向けの経済誌などと細かくセグメント分けしてしまうと、ただでさえ多いとは言えない在米邦人の読者層をさらに狭めてしてしまう。そこで「日本語が読める」「アメリカで生活している」という共通項だけの幅広い読者層にアピールする記事を作成することが同誌のチャレンジであり、同時にやりがいであるとも言えるようだ。そして、「世界の片隅で発行されている無料のコミュニティー誌ながら、ガッチリと作っているという自負はあります」と東條さんは話す。

さらに、1年前に新たな試みを開始した。同誌の記事がスマートフォンで読めるアプリの開発と提供だ。2020年8月にローンチし、読者数を広げることに貢献している。「スマホのアプリをダウンロードしてもらうことで、実際の雑誌をピックアップしなくても本誌が読めるようにと、アプリの認知を上げることに力を入れています。情報誌をiOSやAndroidのアプリにするにはさまざまな条件があり、審査も厳しい。私が知る限り、在米日本語媒体は今はうちだけのはずです」。

さらに、『Lighthouse』の母体であるTakuyo Corporationは、日本での終活の情報をアメリカ在住者に提供する事業や、アメリカから日本の大学に進学を希望する学生に向けてセミナーや情報を提供する事業など多角的にビジネスに取り組んでいる。それらの事業の告知を『Lighthouse』の特集記事や自社広告で紹介することで、それらのサービスを多くの在米日本人に告知できると共に、『Lighthouse』誌自体も読者に有益な情報を提供できるということで、Win-Winの構造になっている、と東條さんは話す。

続いて、東條さんに自己紹介をしていただいた。「編集者歴は20数年になります。日本の大学卒業後に編集プロダクションに入社し、リクルートやベネッセをはじめさまざまな雑誌やウェブサイトから仕事をいただいていました。そこで基本的な編集者のスキルを習得した後、リクルートに広告制作ディレクターとして常駐。さらにウェブメディア『All About』で3年ほど企画の仕事に携わり、アメリカに来ました。『Lighthouse』に入社したのは2012年です」。

最後に編集者として大切にしている姿勢や考え方について聞いた。「モットーは、誤字脱字も含めて情報の正確性を大事にしたいということです。文字が間違いだらけの媒体だと本当にその情報が正しいかどうかも疑わしくなり、信頼性に関わります。また、これは我々が掲げるメディア事業のミッションステートメントなのですが、『読者である在米日本人の方々の安心、充実、チャレンジングで豊かな人生の実現に貢献する』ということは、迷ったら立ち返る原点として常に念頭に置いています。あとは、無料のコミュニティー誌だからといってダサい必要はないと思っており(笑)、デザインに関してもなるべくスタイリッシュに、『ライトハウスってちょっとおしゃれでいいな』と思っていただけるような誌面を目指しています」。

老若男女と全方位を対象にした日本語雑誌、しかもロサンゼルスやサンディエゴといった地域限定の情報も提供するというハードルを乗り越えなければならないものの、絶妙なバランス感覚をベースに構成されているコンテンツこそが、『Lighthouse』のサバイバル策の肝と言えそうだ。

 

*『Lighthouse』: 電子版とアプリのダウンロードのサイト

 

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