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琉球王国の文化遺産を継承する北米沖縄県人会ウチナーグチ講座

生徒に囲まれた比嘉朝儀さん

「カタヤビラ・ウチナーグチ」

活発な活動で知られる北米沖縄県人会(ロサンゼルス郊外ガーデナ市)で、ウチナーグチ講座が開設されている。ウチナーグチとはもともとは琉球王国で話されていた言葉。たとえ、沖縄県の人でも、若い世代は標準語とはかけ離れたウチナーグチを理解することは難しいのだという。

同講座は2017年に15周年を迎えた。創設者であり、今も主宰者として講座を運営する比嘉朝儀さんは次のように語る。「沖縄文化を次世代に継承する際に何かが欠けているといつも感じていた。沖縄で親や祖父母から話しかけられていた言葉を私たちは失いかけていた。北米沖縄県人会の会長に就任した時、沖縄の言葉が学べる教室を開講することを私は優先順位の上位に挙げた」

比嘉さんは講座を「カタヤビラ・ウチナーグチ」と名付けた。それは「沖縄の言葉で話しましょう」という意味だ。比嘉さんが沖縄の学生時代、学校では標準語を話すように強制されていた。沖縄の言葉を口にすると、罰則として「方言札」と書かれた板を首からかけられていたそうだ。しかし、それはかつて琉球王国で話されていた独自の言語を封じ込めることでもあった。比嘉さんは廃れようとしている文化的遺産を若い世代に根付かせたいと強く望み、方言札から数十年経った15年前に、アメリカで実行に移したのだ。

 
学ぶべき沖縄の歴史 

「カタヤビラ・ウチナーグチ」講座の15周年祝賀会は、11月のある週末にまさにフルハウス状態の盛況で開催された。参加して何より印象に残ったのは、講座の生徒たちが、それぞれが沖縄の言葉を習う理由について、ウチナーグチでプレゼンテーションした内容だった。彼らが何を言っているかは全く理解できなかったが、スクリーンに映し出される英語の翻訳で意味を把握した。

アメリカ人を父親に持つミシェール・コニシさんは、その容貌からウチナーグチを話すようには見えない。しかし、彼女は、祖母に話しかける母の言葉を聞きながら、19歳まで沖縄で育った。ウチナーグチを理解はできたものの、自分から話すことはできなかったそうだ。最近、彼女に転機が訪れた。「今年の夏、沖縄に帰省した時、戦時中、祖母が先祖の墓の中に隠れて暮らしていた、ということを彼女から聞いた。その話を聞いた時、私にはもっと学ぶべき沖縄の歴史があるはずだと思った」と教室に通うことを決めた理由を紹介した。

2年目の生徒であるロビン・アラカキさんのきっかけは三線だった。「美しい音楽なのだが、自分で歌っている内容がわからない。自分が歌う歌詞について知りたいとウチナーグチを習うことにした。2年経ったが、まだわからない歌詞がある。しかし、確実に知識は増えている。比嘉先生が琉球の歴史と文化について教えてくれることに感謝している。文化と言語を理解することは非常に重要だ」

同じく2年目のジョアン・アラカキさんは、習う前はもっと簡単だと思っていたと振り返る。「私は過去に日本語を習得していたので、ウチナーグチに苦労しないと思っていた。しかし、実際は難しく、日本語に全く似ていないということを教室で知った。同じような言葉もあるが、ほとんどが異なっている。この教室で、私はこれまで知らなかった沖縄に関する多くのことを学んだ」

沖縄系の3世であるブライアン・アラカキさんのプレゼンテーションは実に充実していた。「私は自分のことを日本人だと自己紹介していた。そして家族が沖縄出身であることを知った。2014年に訪れた沖縄で、自分のルーツが沖縄にあることを実感した」。そして彼にとって大きな意味がある言葉として「チムグクル」や「イチャリバチョーデー」を挙げた。前者は「沖縄の人々の優しさ」、後者は「一度会えば、皆兄弟」を意味する表現だ。

シンディ・アラカキ・ウィッカーさんは母親が沖縄の首里出身。沖縄に住んでいた頃に、農園で様々な野菜を栽培していたシンディさんは、ヨモギをはじめとする沖縄で重用されている薬草について解説した。

沖縄生まれの一世である比嘉れい子さんは、宜野湾小学校時代の思い出を語った。「教師は私たちが沖縄の言葉を話すと、罰則として方言札を首からかけた。それから時が経ち、今、沖縄の祖母や母に話しかけていた沖縄の言葉を蘇らせることができて本当に幸せだ」

ウチナーグチを用いたお芝居も生徒によって披露された  


ルーツへの思いと人々の温かさ

続いて登場したのは、アメリカ人のジュリアン・エリーさん。彼のルーツは沖縄とは無縁だ。しかし、彼の口から出た沖縄の言葉は流暢だった。私は判断できなかったが、周囲の人々が口々にそう感嘆していたのだ。ジュリアンさんは生徒になった理由について人々の心の温かさを挙げた。沖縄の人々から優しくしてもらったことが、沖縄についてもっと深く知りたいという動機になったようだ。そして彼は実に15年間、開設当初から教室に通い続けている。ウチナーグチが流暢なのも納得だ。

娘のタミコさんとウチナーグチ講座に通い始め、そしてまた娘さんと三線を習い始めたというドン・アカミネさんは、一生、沖縄文化について学び続けたいと語った。

5年目の生徒、西内光雄さんとヴィッキー・大城・西内さんは夫婦。光雄さんは福島県生まれだが、ヴィッキーさんのルーツは沖縄にある。ヴィッキーさんは夫と訪ねた沖縄で、親戚に会い、先祖の墓を訪ね、最後は大勢の親戚に囲まれた宴会を大いに楽しんだそうだ。

8年目の生徒、ジェーン・ハツ・クニヨシさんはハワイ生まれの3世。ジェーンさんは初孫に恵まれた時に喜びを沖縄の言葉で生き生きと表現した。

また、15年目の生徒であるハーバート・アサトさんは息子と訪ねた、2011年の世界ウチナーンチュ大会の折の沖縄でのエピソードを紹介した。初対面の女性に親切に道案内されたことで、人々の心の優しさが胸に響いたと語った。

繰り返すが、これらすべてが沖縄の言葉で語られた。そのモチベーションの根本にあるものは、自分たちのルーツや人々への思い、そして伝統文化の継承という使命感だ。15年間にわたり、生徒を牽引してきた比嘉朝儀さんに心からの敬意を表しつつ、今後も続けてほしいと願ってやまない。

祝賀会の最後にカチャーシー(沖縄の踊り)を踊る来場者

 

© 2017 Keiko Fukuda

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