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そもそも「移民」は差別語か? アイデンティティに関わる表現 ー その1

前回書いた『南米の日本語版クレオール語「コロニア語」』の続編として読んでもらいたい。今回は「アイデンティティ」に関わるビミョウなコロニア語表記などを中心に書いてみた。 


そもそも「移民」は放送禁止用語か?

ニッケイ新聞2004年6月4日付の「記者の眼」コラムで、NHKでは「移民」という言葉を放送禁止用語にしているのでは―という疑問と同社からの返答を書いた。

というのも、サンパウロ人文科学研究所の宮尾進元所長(故人)から、NHKの生中継番組に出演する時、同社スタッフから「『移民』という言葉は棄民に通じる印象を持たせるので、使わないでください。『移住者』に置き換えて」と事前に注意されたという話を聞いたからだ。

日系社会から「移民」という言葉を消したら、どんなに味気なくなることか…。まさにアイデンティティに関わる言葉の問題だ。「移民の日」「アマゾン移民」「移民百周年」など自らを表現する大事な、誇りある言葉だ。それが日本の主要メディアで「禁止語」に入るとすれば、「移民」という言葉自体がコロニア語になってしまったことになる。

NHKホームページに問い合わせをしたら、わざわざ日本から担当者が国際電話をかけてきて、「使ってはいけない言葉ではない。ただし、番組製作スタッフが適時判断する場合がある」と説明した。そのうえで、このような経緯があったことを明らかにした。「以前、ある番組の中で『移民』という表現をしたら、『移民した人を傷つける言葉だ』と抗議をうけたことがあります。『棄民のニュアンスがあるから使うべきでない』とのご意見でした」とその担当者は説明した。さらに「南米の方が誇りを持って使っているのであれば、まったく問題ないでしょう。むしろ、誇りのニュアンスがあって、その言葉でしか表現できないのであれば、なおさらです」と続けた。

その後、共同通信社やなどの特派員にも確認したが、禁止用語にはなっていないし、実際に使われていた。

そこで考えたのは、いったん移住したがうまくいかず帰国した人のことだ。戦後のブラジル移民だけで2万5千人はいると推測される。

帰国者の中には、ブラジルで嫌な思いをした人、「ブラジル帰り」と言われて日本で一からやり直す際に苦労した人などが相当数いる。 だから、嫌な思い出に直結した「移民」という言葉を二度と聞きたくないと思っている人が、けっこういる可能性がある。もしかしたらNHKに苦情の電話した人は、そのような一人だったのでは―と推測した。

移住して成功だったと思える人と、失敗だったと後悔する人では、同じ「移民」という言葉を聞いても、違ったニュアンスをもって理解する。当然のこと、ブラジルには成功だったと思っている人が多く、日本には失敗だったという帰国者の比率が圧倒的に高い。その辺の事情が、NHKへの苦情に影響していると思えてならない。


GAIJINという悩ましい表現

いうまでもなく「ガイジン」という言葉も、ビミョウな問題をはらんでいる。

日本の日本語の意味からすれば、ブラジルにおいては日本移民の方が「ガイジン」だ。だが、日系社会では一世、二世、三世など、世代を超えた日系人ばかりがいる場で「ガイジン」といった場合、「非日系人」を意味する。ちなみに日系ブラジル人三世の映画監督・山崎千津薫の処女作も『ガイジン、自由への道』(1979年)だ(名前チヅカの漢字は、彼女の母親を取材した際に確認した。本人すら使わない漢字だが、邦字紙的には親の想いを尊重して敢えて使っている)。

日本語の本来の意味からすれば、二世、三世と非日系人は、同じブラジル国籍だから、二世が非日系人を「ガイジン」と表現するのはオカシイ。でも、実態としての使われ方を見ると、明らかに「日系社会の外の人」という意味で使っている。つまり、すでに日本の日本語の「ガイジン」という意味から逸脱している。

つまり、「ガイジン」という言葉それ自体は何ら変化していないが、「言葉が示すものが変化してしまった」という意味でコロニア語になっている。そこから読み取れるのは「ガイジン」という言葉が日本語である以上、言外に日本人の血が入った人間を「身内」「内人」と考えているニュアンスがあることだ。

驚くなかれ、更にそれを逆手にとって「ガイジン戦隊」という名前でバンド活動をしている非日系ブラジル人がいる。そんなビミョウな感覚を逆手にとった命名をするセンスがすごい。というか、すごすぎる。

本人たちにバンド名の由来を聞くと、「僕らは元々ロックバンドでアニメや特撮じゃない。他のジャンルから来たという意味で『ガイジン』、あとアニメ関係は日系人が多いから、俺たちはガイジンってね」と意味を知った上でしゃれを決め込んでいることを強調した。2004年にバンド(6人)を結成し、アニメイベントなどを中心に活動を始めた。

「ガイジン戦隊」(左が自主制作CDの表紙、右がメンバー写真)

レパートリーは特撮ものを中心に約40曲以上。オリジナル曲も10曲以上ある。この「オリジナル曲」というのも不思議な世界だ。自主制作CD『GAIJIN SENTAIジャグアチメンVSサンライダー』を買って聞いてみたら、なんと勝手に特撮ヒーローモノを創り、その主題歌をCDに吹き込んでいる。日本でもそこまでやるマニアはどれだけいるのか。曲調はヘヴィメタルで、「自分の世界を守るガイジン! 君は何ものだ。けれど闇が我らを包む時、悟りをひらかねば」などという意味深な歌詞をたたみ込むように日本語で歌う。

それ以外の「GAIJIN」の使い方としては、サンパウロ市内だけで日系人経営の「GAIJIN」という名のスーパーマーケットが少なくとも2軒ある。これなどは、元々ブラジルでは自分のことを「ジャポネース」と思っていたのに、日本にデカセギにいった時に日本人からは「GAIJIN」と呼ばれたという体験から、自分を「GAIJIN」と規定しなおして店名に付けたという感じがする。


「クロンボ」は良いのか、悪いのか?

ちなみ、15年ほど前には「クロンボ」という黒人のサンババンドもあり、そのまま記事にしていいのかと悩んだこともあった。

70年代、80年代に日本に招待されて半年間ほど、夜の酒場まわりの興業をした経験のあるブラジル人ミュージシャン仲間を集めて結成したバンドだという。

サンババンド「クロンボ」の自主制作CDのカバー

本人たちに聞けば、日本で興行主ら(話を聞くに、どうもヤクザ系が多かったようだ)から「おい、クロンボ、クロンボ」と呼ばれていたので、普通に日本語で「黒人」=「クロンボ」というかと思っていたとか。ちなみにブラジルでは黒人奴隷が農場から夜逃げして作った隠れ村を「キロンボ」といい、少し語感が似ているので、その言葉に妙な親近感もあったようだ。

黒人本人がその辺の事情を分かったうえで、あえて使っているのであれば、周りからツベコベ言う必要もない。それは「GAIJIN」同様だが、そのへんの見極めが非常に困ったケースだった。

あと、困った日本語表現でブラジル社会に定着しつつあるのは、「Hentai」(変態)だ。

いわゆる日本製のアニメ・ポルノの映画の類だが、ブラジルの若者の間では「Hentai」(変態)として知られている。誰がいつからヘンタイと言い出したのかは不明だが、おそらく日系人だろう。

言い得て妙な気もするが、少し違う気もする、やっぱりビミョウな表現だ。


デカセギは差別語か?

日本の学者などが出席する訪日就労ブラジル人のシンポジウムなどで、「出稼ぎ」という言葉は差別語だから使わない方が良いという意見を何度か聞いた。そのような流れから、日系社会でも「デカセギを使わない方が良い」という意見をいう人も出てきている。

正直言ってブラジルに住んで20年以上になる私には、日本で使われる言葉のニュアンスは既に分からなくなっている。研究者の言葉を尊重して、私は「出稼ぎ」という言葉は使わないようにしている。

でも、ブラジルではすでに「Dekassegui」という言葉はポルトガル語化して一般紙にも使われるようになっており、そこに差別語のニュアンスは一切ない。だから、ポルトガル語からの借用語として「デカセギ」という使い方をしている。

これが良いのか悪いのか分からない。ただ、「差別語だから使わないようにしよう」だけでは差別は無くならない気がする。その辺の話は、あまりに重いので、ここでは深入りしない。

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© 2017 Masayuki Fukasawa

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