シアトル地域で活躍する若い日系人。四世にあたるスティーブン・キタジョウさんは、8月から、アイダホ州のミネドカ日系人収容所跡地へのツアー企画運営団体「ミネドカの旅実行委員会」の共同代表になった。過去にワ州日本文化会館(JCCCW)にも勤務、日系人であることへの意識について聞いてみた。
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日系団体での活動は、自身の好奇心から来たものだったという。両親は三世にあたるが、二世となるキタジョウさんの祖父母)から、日系人の経験について伝えられてこなかった。
「母は何かしら関わりたいと思っていたようですが、日々の忙しさで何もできなくて。自分が関わることで、何も聞かされてこなかった両親に自分の学びを共有することができると考えました」
大学ではアジア系米国人民族学と歴史を学んだ。途中で関心の軸が歴史にあることに気づき、アジア系米国人の歴史に焦点を当てて学ぶことにしたという。卒業後のJCCCWでの勤務で、文化が歴史と深い関わりがあり、「基本的に文化を作る大部分の要素は歴史なのではないか」との考えを持つようになった。
「成長していく過程で、自分は日系米国人なのか、米国人なのかを考えるようになりました」と語るキタジョウさん。「年をとるにつれて、一つの型に当てはまる必要はないのだという考えに落ち着きました」
日本人でも米国人でもなく、「自分は日系米国人だ」と話す。答えは自らの経験からたどり着いた。日本にホームステイした高校時代、日本人の友達と歩いている時は英語で話しかけられ、一人で歩いていると日本語で話しかけられたという。
自分の育った文化は独自のもの――。「米国文化からも、日本文化からも切り離されたものだと思うようになりました」と 日系人文化は、「人それぞれ違うものなのではないか。それぞれに合わせて幅を持つ文化なのではないでしょうか」と語る。キタジョウさんは、先祖の食や芸術の習慣、価値感、信条が現在の生活の一部なっていると実感する。
今年から共同代表となったミネドカの旅実行委員会は、忘れてはいけない歴史をいかに人々に伝えていくかを、熱心に考えるボランティアが集っているという。
2003年から続き、来年で12回目となるツアーについては、「続けていくだけでは不十分だと思っています。より多くの人に、より多様な人に参加してもらえるよう、常に新たな方法を探しています」と語る。
二世・三世の人々が立ち上げてきたプロジェクトも、時の流れと共に四世の人々が引き継ぐ時代となった。直接話を聞く機会が少なくなってきた世代だからこその、新たな取り組みにも期待したい。
* 本稿は、2015年11月13日『北米報知』からの転載です。