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結婚で大分からNYへ、そしてLA移転: 日本の精神文化の伝導師に ~トーランス在住釘宮史子さん~

娘のバレエ研修が渡米のきっかけ

俗に言う「新一世」は日本で生まれながら、本人の意思でアメリカに移住してきた人々だ。現在ロサンゼルス郊外トーランスに住む釘宮史子さんが渡米を決行したのは50代も半ばにさしかかろうとする時だった。しかも、彼女は大分市内で大分エアビジネス学院という航空業界就職を目指す人のための専門学校を経営していた。経営だけでなく官公庁や企業、大学に招聘され、秘書実務や敬語、所作などのビジネスマナーを教えていた。経営者、教育者として成功を収めていた彼女が、学校を閉鎖し、セミナーの仕事は後輩に譲って、2012年に単身渡米。その理由はアメリカ人オペラ歌手トーマス・ムーニーさんとの再婚だった。

オペラ歌手の夫、トーマスさんと

「彼との出会いは2007年か2008年でした。3歳からバレエを習っている次女を、毎年夏になるとニューヨークのスクール・オブ・アメリカンバレエ・シアターのサマープログラムに参加させていました。リンカーンセンターの所に学校があったので、送迎していた時に噴水の辺りで夫に声をかけられたのです。それから日本に帰った後もスカイプで話をするようになりました。そして毎年、夏になるとニューヨークで会って、残りの期間はスカイプでの会話という状態が4、5年続きました」

史子さんは早稲田大学を卒業後、全日空のキャビンアテンダントとして7年間勤務、親が勧めた見合い相手と結婚するために故郷の大分県にUターンした。二人の娘に恵まれるが、次女が生まれた直後に夫とは離婚。自活のためにキャンビンアテンダントの経験を生かし、航空業界に就職するのに必須となるマナーや言葉遣い、さらには業界の就職事情を学校で教えたいと就職活動を始めた。「しかし、どこも雇ってくれませんでした。だったら自分でやるしかない、と専門学校を立ち上げました」と振り返る。やがて史子さんの講師としての評判が広がり、教える仕事は加速度的に増えていった。

トーマスさんと出会ったのは学校を立ち上げてから10年ほど経った時。「結婚するとは思いませんでした。しかも、学校では私自身が教壇に立って教えていたので、やるつもりさえあれば70歳になっても仕事は続けられる状態でした」

しかし、彼女はトーマスさんのプロポーズを受け入れ、渡米した。「次女は高校からトロントに留学することが決まっていました。そうやって二人の娘が自立した後、私に仕事以外の何が残るのだろう?と思ったのです。それならば、アメリカで彼と一緒に新しい生活にチャレンジしようと思いました」

2013年1月に結婚、新居はニューヨークから離れたコネチカット州のグリニッジだった。「カルチャーショックでしたね。渡米当初はソーシャルセキュリティー番号がなくて自動車も自分で運転できませんでした。歩いてはどこにも行けない場所で、隣の家に行くのも車でないと無理でした。ある時、ふと近くのバス停まで何分かかるのだろうと歩いてみたら1時間以上かかってしまいました。だから、主人が仕事で家にいない間は、ずっとうちに軟禁状態のように閉じこもるしかありませんでした」


コミュニケーションスキルで築くより良い人間関係

美しい所作もセミナーで教えている史子さん  

何とかしてそういう生活から脱して、社会とのコネクションが欲しいと切望した史子さんは、ビジネスマナーや敬語をニューヨークの日系社会の人々に教える仕事を始めた。史子さんの教えの中には「釘宮メソッド」と自らが名付ける敬語の考え方がある。

「言葉の使い方を階段に喩えるのです。丁寧語は『です、ます』言葉。敬語だと勘違いする人もいますが、丁寧語を使う相手とは対等な関係です。つまり、同じ段に立っています。敬語の場合は1段、相手が上の段に立っているという関係性。相手を1段上にして表現します。たとえば『朝ごはんを召し上がりましたか?』と言うのが敬語です。謙譲語は『朝ごはんを頂きました』と言うように、自分が1段下がります。これに関して、よくアメリカの方に指摘されるのが『人間として対等じゃないか。差をつけるのはおかしい』と言うことです。確かに人間として対等なのですが、言葉で相手の方に敬意を表現するということが、日本の美しい精神文化だと私は考えます。ですから、綺麗な言葉を自分が使うことによって学生たちに耳から覚えさせる努力を続けました」

アメリカに暮らす日本人、そして日本語を使うアメリカ人に、敬語のこの考え方を浸透させようと努力を続けていく中で、本人が幾度となく言われたことがある。「アメリカでは敬語なんて誰も気にしない」

しかし、史子さんが伝えようとしているのは単に言葉だけの問題ではない。「確かに言葉だけを取り上げれば、日系社会であってもアメリカにおいては重要ではないかもしれません。しかし、私は今後、いかに綺麗な言葉遣いとコミュニケーションスキルで、より良い人間関係を築くかに焦点を当てていこうとしています。職場で良好な関係を構築するためにはコミュニケーション能力が鍵となります。会社で働く人々がES(Employee’s Satisfaction)を感じていなければ、CS(Customer’s Satisfaction)を得ることは不可能です」

ニューヨークではサラローレンスカレッジで特別講義を持つなど、幅広い層の人々にマナーと言葉の大切を訴えた。しかし、2016年9月、史子さんはトーマスさんと共に生活の拠点を西海岸に移した。

サラローレンスカレッジでの講義の様子  

「2015年、クライアント企業のロサンゼルス支社の方々の社員教育の仕事で、初めてトーランスを訪れました。日系のホテルに滞在したのですが歩いていける場所に大きな日系のマーケットがあり、そこに行けば大勢の日本人がいました。日本食のレストランもたくさんあることに驚きました」

ニューヨークは生き馬の目を抜く競争社会。「厳しい社会で生き残りをかけるには、少し年を取りすぎている気がしました。夫も、もう高齢ですし、夏は暑く、冬は寒くて大雪の降るコネチカットではなく、気候の良いLAに二人で移ってきました」

振り返ってみれば史子さんが今ここにいるのは、次女の夏の間のNYでのバレエ研修だった。「彼女がバレエをやっていなければ主人と出会うこともありませんでした。人生は面白いですね。実は私が高校生の頃、大学に行かずにアメリカに留学したいと母に訴え続けていたのです。広島、長崎を忘れないという世代の母は私の留学に首を縦に振りませんでした」

こうして、アメリカでの史子さんの生活は第2章を迎えた。今後は、西海岸を拠点に彼女のライフワークである「敬語という日本の精神文化を伝える」ことに取り組み続けると言う。

 

釘宮史子さんのウェブサイト:Omotenaca-nyc.com

 

© 2016 Keiko Fukuda

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