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移住地開設から50周年を迎えるピラポ

アルトパラナ移住地の開設

1952年に再開されたパラグアイ国への戦後日本人移住により、戦後開設されたチャベス・フラム移住地がすぐに満植となりました。移住希望者が急増する日本の社会事情に応え、海外移住振興会社と海協連は、新たな移住地の開設が急務とされ、イタプア県中東部に位置するパラナ川沿岸のピラポ地区に巾20km 奥行き40km 約85,000haの大原生林を購入し、1959年アルトパラナ移住地と命名され造成を開始した。当時、振興会社は4年間で2,000家族、12,000人の入植を計画し、世界最大の日本人移住地として国内外から脚光をあびた。それは、戦後経済の低迷に悩む日本国にとって、画期的な失業者対策であり、民族移動計画であり、その成功と将来が期待された。

1959年9月アルトパラナ移住地に第1号抗が打ち立てられる。

入植開始と初期の状況

1960年8月2日、高知県からアルトパラナ移住地に第一陣26家族が入植し、1965年までの第28次まで、延べ331家族が入植した。日本では東京オリンピック開催以降、高度経済成長が続き、移住希望者は激減の一途をたどり、28次船は最後の移住船となった。一方、移住地では入植地は30haに区画割りされ、道路の造成がされ、収容施設や学校、購買所等が準備されていた。入植者は自分の土地を決め、原生林を切り倒し、火をつけ焼き、仮小屋を建て言語、風土、習慣の違う未知の大原始林開拓に遠大な夢を抱き、家族一丸となった戦いが始まった。この戦いは、開拓をしながら生活基盤をつくり、永住を目的とし暗中模索の状況の中、長い長い未知の理想郷に向かって進んで行くのである。

開拓時の入植者の様子

入植10年目のアルトパラナ移住地

移住事業団の指導に従い、入植者は自給野菜を作り、ニワトリやブタを飼育し、拓いた焼き畑に永年作のツングを植え、その間作にトウモロコシや綿、大豆等の短期作物を作り、短期作物の販売で生活し、また開発投資資金を作りツングが成木になるのを待った。並行して移住地全体の環境整備にも力を注ぎ、1966年11月23日、現日本人会の前身、アルトパラナ移住地運営協議会を発足させ、教育、治安、道路等の運営管理業務を進めていった。しかし、入植者の中には、あまりにも過酷な開拓生活に見切りをつけ、国内外の都市や、母国に帰国する者も出始めた。

1966年アルトパラナ運営協議会仮事務所

明るい兆しに向かって

永年作のツングが実を付け、移住地に搾油工場が建設され、エンカルナシオンにも搾油工場が建ち、つくった作物が有利に販売が出来る兆しが見えて来た。養蚕が盛んになり日本企業が進出し、繭の乾燥工場ISEPSA社(Industria de Seda Paraguaya SA)が設立され、養蚕が急速に普及し移住地は活気に満ちて来た。しかし期待されたツングは低価格が続き、それで生計を立てる事は難しかった。繭価も中国産の繭に押され、わずか10数年で工場は閉鎖され、移住地農業の大豆への転換が始まった。1980年代に入ると、大豆を中心とした営農に、裏作の小麦栽培が始まり、本格的な機械化農業へと転換していった。また、ブルドーザーを駆使した農地開発が進み、90年代に開発はピークに達し、移住地は60,000haの穀物生産地帯へと変貌し、安定期に入っていく。

20周年を迎えたピラポ移住地上空から中央  

21世紀に入って

40周年を迎えた移住地は農業を中心とした成熟期に入り、市行政、日本人会、農協それぞれの構想が定着され、先人が築いた基礎の上に、初期の開拓精神が受け継がれ、現在は、農地の土壌保全、環境対策を軸に、移住地を次世代に引き継ぐための、新たな取組みが始まっている。

入植50周年に向かって

2009年に建立した草木塔

2010年8月2日に挙行される入植50周年記念祭に向かい、市役所、日本人会、農協が共同で準備を進めている。昨年はこれに先立ち、今日までこの大原始林の草木を倒し、焼き払い、自然の恩典により、我々が生活させていただいている事に感謝し、また、このピラポが末永く今後も発展を続ける事を願って、「草木塔」を建立した。

また、50周年記念事業として市役所、農協と提携し「入植50周年記念碑」の建立と、墓地の環境整備も着工している。日本人会の独自事業では移住史料展示室を開設し、大使館草の根資金援助によるリハビリセンター建設も進んでいる。

今後の課題として「地域住民との協調、融和」を掲げ、世界の多くの民族が移動しその歴史を造ったように、南米大陸に移住した先人開拓者の歴史を学びながら、同胞日系社会と歩調を合わせ、来る100周年に向かって新たなスタート地点に立つ、50周年になる事を願っている。

*本稿はパラグアイ日本人会連合会会報「力をあわせて新たなるパラグアイ日系社会の創造」(2010年7月)からの転載です。

© 2010 Seiko Nishidate

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