Descubra Nikkei

https://www.discovernikkei.org/pt/journal/2009/8/13/natsu-matsuri/

コミュニティ意識が存続を左右する夏祭り

7月から8月にかけて、お寺や日系コミュニティが主催する夏祭りが、全米各地で開かれる。もちろん、夏祭りの舞台はアメリカだけではない。体験したことはないが、南アメリカでも日系コミュニティの恒例行事に違いない。南米の夏祭りは、北半球とは半年違いという時期の違いはあるだろうが。

日本の郊外の住宅地で育った筆者にとって、「夏祭り」は身近な存在ではなかった。小学生の頃、神輿をかついで住宅地の中を回ったことがあるが、その程度の記憶しかない。大人になってからも、夏祭りに参加する機会はなく、夏のイベントと言えば、東京ディズニーランドの花火を見るのが関の山だった。ところが、18年前にアメリカに来てから、ロサンゼルスのリトルトーキョーにあるお寺の夏祭りに誘われて行ってみると…。

そこでは金魚すくいやヨーヨー釣りなどのゲームの露店、サーターアンダギー、タコライスの沖縄移民の色が感じられるファーストフード、かき氷、たこ焼き、イカ焼きなどの典型的な屋台食、さらには照り焼きチキンとビーフのお弁当まで売られていた。本、玩具、衣類のフリーマーケット、野菜の即売、そして、生け花や茶道のデモンストレーションまで、まるで「日本文化の見本市」のようだった。

次に驚かされたのは、リトルトーキョーより実質的には日系人口が多いガーデナのお寺での夏祭り。そのお祭りでは、道路を数ブロックにわたり交通規制して、盆踊りが行われる。浴衣姿の人々が盆踊りに興じている姿は、「一心不乱に踊っている」ように見えた。見物する人も折りたたみの椅子を舗道に置いて、何時間も前から場所取りをするのだそうだ。その光景は、桜の木の下にゴザを敷いて場所取りする日本の花見を連想させた。

金魚すくいは夏祭りの定番 (リトルトーキョーの禅宗寺で)

2009年の夏、20日ほど、日本の実家に子供を連れて帰省した。滞在中に、実家のある住宅街の自治会主催の夏祭りが開かれた。夕方4時頃、地域の子供が担ぐ神輿が実家の前を通った。担ぎ手の子供は何と、たったの5人!少子化の影響?これが日本の現実なのか、正直ショックだった。それでも、私の子供たちは嬉々として、御輿の後をついていった。御輿の最終地点は、祭り会場の公園。しかし、夏祭りと言うにはあまりにも寂しい景色。屋台は焼き鳥とジュースのみ。中央には舞台が設置されており、そこで空手の演舞や民謡が披露されていたが…とにかく活気がないのだ。アメリカの日系社会の夏祭りで育った子供たちにとっては、正直、物足りなかったに違いない。「金魚すくいはなぜないの?」と、6歳の娘は不満を漏らした。

一番印象的だったのは、盆踊りの前に「過去1年で、当自治会内で4名の方が亡くなりました。その方々のご冥福をお祈りしながら踊りたいと思います」と言った司会者の言葉だ。「盆踊り」の意味を再確認させられたものの、何とも暗い気持ちになった。

日本の夏祭りが、どれも活気がないと言っているのではない。ただ、コミュニティ意識が希薄な都市部、そして郊外の住宅地に育つと、盛大な夏祭りを経験することはかなり難しいのが現状なのだ。

夏祭りが盛り上がるかどうかは、構成メンバーの「コミュニティ意識」の有無に左右される。全米でも最大級の夏祭り、8月に数週間にわたって開催されるロサンゼルスの二世ウィークの実行委員に会った時、こんなことを言っていた。

「日系人口が多いハワイで生まれ育った私にとって、地元の祭りとは自分が参加するだけでなく、運営する側に回るのがコミュニティの一員としては当然だという意識だった。大学卒業後に就職の機会を求めてロサンゼルスに移住すると、すぐさま、どんな日系イベントが行われているのかを調べて、二世ウィークの実行委員会に参加させてもらった。以来20数年にわたって活動を続けている」

新しい土地に移ってすぐに日系イベント開催に携わった彼の行動力は、「コミュニティ意識」に根ざしたものだ。そういう人々の陰の努力が寄り集まって、「在外日系社会の盛大な夏祭り」は盛り上げられてきたのだ。熱心なボランティアによって存続していく日本国外の日系イベント、寂しい日本の住宅地の夏祭りとはどこまでも対照的である。

© 2009 Keiko Fukuda

festivais matsuri
About the Author

Keiko Fukuda nasceu na província de Oita, se formou na Universidade Católica Internacional e trabalhou num editorial de revistas informativas em Tókio. Em 1992 imigrou aos EUA e trabalhou como editora chefe numa revista dedicada a comunidade japonesa. Em 2003 decidiu trabalhar como ¨free-lance¨ e, atualmente, escreve artigos para revistas focalizando entrevistas a personalidades.  Publicou junto a outros escritores o “Nihon ni Umarete” (Nascido no Japão) da editora Hankyuu Comunicações. Website: https://angeleno.net 

Atualizado em julho de 2020 

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