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母国アメリカと戦った日系人たち その1: 神風特攻隊と米軍兵士を経験—小野正己さん—

第二次大戦時、ヨーロッパで戦績を残した日系人部隊のことはよく知られている。日系人のみで編成された第442連隊は、ヨーロッパ戦線に投入され、 アメリカ合衆国の歴史上、最も多くの勲章を受けている。しかし、日本で教育を受けていた時に徴兵され、母国であるアメリカと戦うことになった日系人もまた数多くいた。名古屋市立大学院で日系米人の日本軍従軍について研究している門池啓史氏の調査によると、その数、実に千人とも二千人とも言われている。

今から3年前、筆者はロサンゼルス近郊に暮らす3人の元日本軍兵士の日系アメリカ人の話を聞くことができた。神風特攻隊の生き残りで朝鮮戦争では米軍に従軍した経験を持つ小野さん、満州とフィリピンの部隊に所属し終戦は台湾で迎えた大森さん、そして米軍兵士の兄と分かれ日本への忠誠を誓っていた阿久根さんである。

小野さんは1928年、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のホーソンに生まれた。最初にアメリカに来たのは小野さんの祖父、岡山の出身だった。小野さんの父親は最初、八百屋を経営した後、ウエストロサンゼルスで中華料理店を始めた。

当時は、日系人の子供の教育は日本で受けさせるという風潮があった。それで、小野さんと姉は1940年から岡山での生活を始めた。転入した日本の学校では、「お前はアメリカ人か、日本人か」と苛められたそうだ。

岡山県立第一商業学校の2年生の時に徴兵された。「行きたくないと言ったら、学校の先生にボコボコにされた。どうしても行きたくない、と1週間頑張ったが、途中で試験に落ちればいいのだと思いついた」。しかし、結果的に試験には受かってしまった。入隊したのは松山航空隊、神風特攻隊のひとつだっ た。

予科練時代の制服姿

「1944年の5月10日、B-29が編成を組んで何百機と飛んできた。防空壕の近くに爆弾を落とされた。後は人間魚雷だというので、志願者を募っ た。何十人も志願したのは驚いた。私は志願しなかった。その後、松山から呉に移動、1945年8月6日、B-29が3機だけ飛んできた。広島の方に飛んで 行った後、ピカッとフラッシュしたのが見えた。すぐにマッシュルームの雲が上がり、下の方はみるみる赤く染まっていった」

そして8月15日を迎えた。小野さんは隊に残り、後始末で1カ月ほど働いた。退職金として2千円支給された。当時の月給は50円から70円ほどだったというから大金である。

一方の、マンザナーに収容されていたアメリカの家族は、戦後、日本への帰国の道を選んだ。「親父がアメリカよりも日本を選んだのは、戦争前に投資したカネを詐欺で取られたり、せっかく財産を築いても収容所に放り込まれて没収されたりで、アメリカで成功しても何も自分の物にはならなかったという経験からだと思う」と小野さんは語る。帰国後、岡山で商売を始めた小野さんの父親は、市内に八百屋、漬物屋など6つもの商店を経営するまでになった。

小野さんは神戸の米軍の犯罪調査本部で通訳の職に就いていた。一貫してアメリカに帰りたいという意志を持ち続けていた小野さんは、朝鮮戦争が始まったのを契機に、領事館で米国市民権を回復し米軍に志願した。

「面接で『ユーはアメリカ市民か』と聞かれて『そうです』と答えると、「ウエルカム!」と晴れて入隊できた」。こうして、小野さんは22歳の時に、 再びアメリカ人になった。こうして、小野さんはアメリカ軍に入隊することで失効していた米国市民権を回復することができたのだった。

「日本軍との違いに驚いた。日本軍は何が何でも絶対服従。常に上官から殴られることを恐れていた。米軍ではそのような経験は一度もなかった」

しかし、病気にかかった小野さんはアメリカへ戻される。父親は日本で家業を継いでほしいと望んだが、彼は予科練時代の経験から「日本は下の人間が頑張っても潰される。アメリカはいいアイデアがあればトップまで行くことができる」という考えを持っていた。自らの意志でアメリカを選んだのだ。

大学卒業後、ロサンゼルスの日系商社を経て、ロサンゼルス港湾局を勤め上げた小野さん。「港湾局時代には、なぜかチノ空港に保管されてあったゼロ戦に乗ったことがある。予科練時代には乗ったことがなかったのに皮肉なものだ」

最後に次に生まれ変わるとしたら何人に生まれたいかと聞いてみた。

「日本に、日本人として生まれたい。僕がいた頃と今の日本は全然違う。当時の日本には何もなかった。それにしても、最近の日本のテレビドラマがまったく理解できない。現代の日本のドラマで見る日本人には大和魂が感じられない」

戦争に翻弄されて日本軍への入隊を余儀なくされた後、アメリカ人に戻る道を選択した小野さんだが、心の奥底には大和魂が静かに息づいていた。次回は大森さんの体験談をお届けする。

その2 (大森馨一さん)>>

「カミカゼの生き残り」と語る小野さん

© 2008 Keiko Fukuda

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