Escolha o seu idioma de preferência para tirar o máximo proveito das páginas do nosso Jornal:
English 日本語 Español Português

Fizemos muitas melhoras nas seções do nosso Jornal. Por favor, envie-nos a sua opinião ao escrever para editor@DiscoverNikkei.org!

メンソーレ!沖縄 in U.S.A.

第4回 世界のウチナーンチュの動きを知らせる新聞を編集発行

金城武男さん
ハワイ生まれ帰米二世


沖縄系移民の動向をまとめた新聞「五大洲」をロサンゼルスで編さんしているのが、発行人の金城武男さんだ。「五大洲」とはアジア、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、アメリカの5大陸を指し、世界を意味する。

新聞の名はハワイ移民の先駆者、当山久三の言った「いざ行かん、我らの家は五大州」に由来する。この言葉が表すように、沖縄出身者は全世界に移住し ている。「移民の末裔たちの近況を一目で把握できる媒体がない、であれば自分で編集しなければ」と思ったのが創刊のきっかけだと金城さんは語る。以来43 年、隔週または月刊で発行を続け、2007年11月12日号で588号目を迎えた。

タイプ、コピーの切り張りと手書きが混在した4ページの紙面。沖縄から発信された記事がある一方で、ブラジル、ハワイ、インディアナ、フロリダなど 世界の沖縄県人会のニュースに紙面の多くを割いている。情報源は、金城さん自身が購読している沖縄関連の新聞や県人会のニュースレター。

金城さんは、1922年にハワイで生まれた。1歳で母親に連れられて沖縄に渡った後、アメリカに戻って来た帰米二世だ。沖縄本島中部の金武で小学校 を終え、14歳の時に親戚に連れられてハワイに戻った。沖縄に残っていても仕事がなく、ハワイのパイナップル畑で働けば1カ月の給料が60円、当時の日本 の校長先生の月収の3倍が稼げたからだ。

[inline:newsletter2.jpg]

11カ月後の1938年、金城さんはアメリカ本土に移った。ロサンゼルスの親戚が経営しているイチゴ農園に置いてもらい、そこで1週間休みなく働き 続けた。「ハワイでは日曜は休みだったのに、ここではまったく休みがない。だから少しでも休みたいという一心で、親戚の子にくっついてジュニア・ハイス クールに通い始めました。英語は分からなかったけど、代数でAをもらった。無事同級生と一緒に卒業でき、ベルモント・
ハイスクールに進学しました。そこには日系二世も多かったですね」

高校卒業を前に、アメリカと日本が開戦。金城さんはサンタアニータの日系人収容所に送られた。その後、アイダホ、ワイオミングと転々とし、アーカン ソーのリロケーションセンター内の高校を卒業する。大学進学を希望したが、収容所生活を送っている日系人を入れてくれる大学がない。市民権を放棄して沖縄 に帰ろうと思ったという。しかし、いざ終戦を迎えると、日本は食料難だという話が伝わってきた。結局、帰国は諦め、ニューヨークで数年働いた後、1948 年、ロサンゼルスで庭師になった。そして85歳の今も庭師を続けながら「五大洲」を発行している。

世界の移民の心をつなぐ

「沖縄出身者がどこでどのように苦労しているか、成功しているかを知らせるために作り続けている。創刊時のタイトルは『Okinawa Immigrants, Sons and Daughters (沖縄移民の子女)』。年間10ドルのサポートをいただいて読者に送っています。送り先は沖縄の市町村、南米のブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビ ア、メキシコに全米各地の県人会。ヨーロッパではフランスとドイツ、アジアではフィリピンなど。年間10ドルなのに100ドル、500ドルと小切手を送っ てくれたり、『楽しく読んでいます』という励ましの言葉を書いてくれたりする人もいます。私は新聞の仕事で給料をもらうつもりはない。会計報告は毎年きっ ちりしています」

金城さんが発行している新聞は、世界の沖縄移民、そして移民を送り出した沖縄の人々の心を一つにつなぐ役目を果たしている。しかし、そろそろ後継者探しをするべき時ではないだろうか。

「今後については、いろんな人が心配してくれます。(後継者を)探してくれるという人もいたが、私の方から断わりました。これまで誰のアイデアでも なく、自分の考えで出してきたんです。(日本では)小学校しか出ていない私が、ウチナーンチュの動きを知らせるためだけにやってきたわけです。それに『売 らんかな』でやっているものでもない。ほかの人が続けたいなら、まったく別の名前でやってくれればいい。その方がその人の自由にやれるでしょう。これから も私が一人でやり続けて、できなくなったらグッド・バイ。それだけのこと」

「ウチナーンチュの動きを知らせる」ことをライフワークとして取り組んでいる金城さんの愛郷心の強さは、インターネットの時代になっても、彼の新聞を毎月待っている多くの読者の故郷を思う心をそのまま反映している。

* 本稿はU.S. FrontLine January 2008 (3rd week) からの転載です。

© 2008 Keiko Fukuda

journalists Kyuzo Toyama media newspapers NikkeiMedia okinawa uchinanchu U.S. FrontLine

Sobre esta série

福田恵子氏による第7回にわたるアメリカの沖縄系コミュニティのシリーズ。アメリカの日本人を対象に読まれている日本語無料週刊誌、U.S. Frontline からの転載。