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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その1/9

はじめに

1955 年、ニューヨークで『 NY文藝』が創刊された。ロサンゼルスで『南加文藝』が創刊される10年前のことである。その第3号に「ニューヨークで発行されるアメリカ唯一の文芸同人雑誌」と記されている。戦後のアメリカで初めて本格的な文芸誌が生まれたのである。

ニューヨークにおける日系日本語文学活動はほとんど知られていない。そもそもそのような活動があったのかどうかさえ不明であった。『在米日本人史』(1940)も『米国日系人百年史』(1961)もニューヨークを中心とする東海岸における文学については何も触れておらず、日系日本語文学はもっぱらカリフォルニアを中心とした西海岸の文学として捉えられてきたのである。この度、秋谷一郎氏のご厚意により『NY文藝』全号の復刻が可能になったことは、日系文学研究上、大変意義深いことである。今まで知られなかったニューヨークにおける文学活動の実態とその成果に、ようやく触れることができるようになったからである。今後のこの雑誌の研究に少しでも役立つことを願って、雑誌創刊の背景とその内容、意義などについて解説しておきたい。

1.『NY文藝』創刊以前のニューヨークにおける日系社会と日系文学

1860年代後半に日本から留学生がニューヨークへやってきた。しかし、1876年に森村豊、新井領一郎などの一団がやってきて商店を開いたことが、この地における日系アメリカ人社会の実質的な始まりといえる。日米貿易は日清戦争(1894-95)後、盛んになり、日露戦争(1904-05)後はさらに伸び、第一次世界大戦(1914-18)が始まると大きく拡大している。このような貿易の発展とともに定住者も次第に多くなっていく。ニューヨーク州における日系アメリカ人の人口の推移を見ると、1900年-354人、1910年-1,247人、1920年-2,686人、1930年-2,930人となっている(Paul R. Spickard, Japanese Americans , 1996)。貿易や金融に従事する人が多かったことが特徴である。

日本の中国大陸侵略による日米関係の緊張と、それに続く太平洋戦争はニューヨークの日系アメリカ人社会にも大きな影響を与えた。対日世論が悪化し、日米貿易の縮小と麻痺によって日本商社の社員は帰国しはじめたが、留まらざるをえない地元の日系居住者は厳しい状況に直面した。

日米開戦後、西海岸の場合とは異なり、ニューヨークの一般日系市民の立ち退きと収容所への隔離は行なわれなかったけれども、日系諸団体はその活動を自粛せざるをえなかった。このような状況の中で、民主主義擁護の立場から活発に活動したのが日米民主委員会である。日本軍国主義を批判し、アメリカに忠誠な日系人への差別反対運動、再定住者への援助などを行なった。『NY文藝』との関連でいえば、『北米新報』の経営を1952年に芳賀武から受け継いだ貴田愛作がこの委員会の会計を務めている。

戦後、世界情勢が大きく変わり、日米関係も大きく変化した。戦禍を受けなかったアメリカは軍事的経済的に世界の超大国となり、勢力を拡大するソ連と冷戦に入って、日本はアメリカの世界政策の中に組み込まれていく。1950年代に入ると対日講和条約、日米安全保障条約、日米友好通商航海条約が結ばれる。かつての「敵国」が「友好国」となったのである。新たな日本の政府機関と多くの商社がニューヨークへ進出する。

またアメリカ国内でも日系社会に大きな影響を与える動きが見られた。まずヨーロッパ戦線における日系部隊の活躍によって日系人への評価が好転し、再定住が容易になる。1952年、マッカラン・ウォルター移民法が成立して一世の帰化権がようやく認められる。他方、1954年に連邦最高裁が公立学校における人種分離教育に違憲判決を出し、黒人の差別撤廃運動が大きく盛り上がる。この運動はやがて1960年代以降の、日系を含む他の少数民族の民族意識の高揚を促すことにつながっていく。

ニューヨークにおける戦後間もない日系社会内部の特徴の一つは人口の増加である。再定住のためにニューヨークへやってきた多くの西海岸出身の日系人、戦争花嫁の渡米、そして前述した日米貿易の増大による商社員の急増などによるものである。国勢調査によれば、1940年-2,538人、1960年-8,702人となっている。

日本への救援活動と日系社会内の共済事業への積極的な取り組みも、戦後間もない日系社会の特徴である。日本救援紐育委員会が結成され、この委員会を改組拡大して紐育日系人会が生まれる。これらの二つの組織の役職に、後に『NY文藝』の同人となる田実節、西野鉄鎚、川本裕二、大村敦が就いている。1930年代に多くの詩やエッセイを発表した二世のチエ・モウリ、ジョウ・オオヤマも加わっている。また同人ではないが、『NY文藝』創刊の基盤を作った芳賀武が理事を務めている。

太平洋戦争以前のニューヨークの日系社会では文学活動はほとんど見られなかったといってよい。『紐育の日本』(1908)と『紐育日本人発展史』(1921)の中で当時のニューヨークにおける日系社会の各種の市民団体と主要な人物の名が記されているが、そこには文学関係の名前は見当たらない。ただ『紐育の日本』において、1907年にニューヨークで創刊された月刊誌『太西洋(ママセイヨウ)』の主筆が「小説家として知られたる中村春雨なり」と記録されている。しかし彼の執筆活動の様子については何も触れていない。

このような状況の中で唯一の例外は佐々木指月(1882-1945)の存在である。1930年にニューヨークで禅堂を開いた指月はシアトルの日系新聞『大北日報』などに自伝的エッセイをよく発表した。山崎一心編集の『アメリカ文芸集』(1930)と『アメリカ文学集』(1937)にもニューヨークからそれぞれ「序に代えて」と2編の短編、「序」と4 編の小品を寄せている。また日本で第一次世界大戦後、アメリカ物が好んで読まれるようになると、指月は『中央公論』にエッセイを連載し、『米国を放浪して』(1921)、『さらば日本よ』(1922)、『亜米利加夜話』(1922)を日本で出版している。ただ、指月はニューヨークの日本人と親しく交際することがなかったようなので(森美那子「小伝・佐々木指月」『南加文藝』第22号、1976)、彼の文学活動は孤立的なものであったといえる。

戦時中のニューヨークでは日系人の文学活動は見られない。西海岸では開戦後、約11 万の日系人が強制収容所に隔離され、皮肉なことではあるが、いくつかの収容所では文学の同人組織が生まれて、かなりの成果をあげたこととは対照的である。

戦後、ニューヨークへの再定住者が増える中で、二つの文学愛好者組織が生まれる。「趣味の友」と日系人文芸懇親会である。「趣味の友」は文学の愛好者だけでなく、美術や宗教などに関心をもつ人たちも含む組織で、1946年、上田雅孝を中心に設立された(『1948-49年度紐育便覧』)。1948年には同人が60名となり、毎月例会を開いていたという。その後、上田が国務省に勤務し多忙になったため、1950年代半ばには会の活動は低調になってしまっている(『1956年ニューヨーク便覧』)。

日系人文芸懇親会は1946年頃、画家の八島太郎・光子夫妻を中心として文学愛好者が集ってできた組織である。参加者はあべよしお、秋谷一郎・聡子夫妻、川本裕二(日本の民芸品販売)、南博(社会心理学者。日米開戦のため大学院課程終了後も帰国できなかった)、ジーン許斐(このみ)(許斐仁)(戦前、西海岸で新聞記者)、ジョージ谷本(谷本登)(コック、後に植字工)などで、会そのものは小さく、また会合も不定期にしか開かれなかった。内部の人間関係の悪化と八島夫妻のカリフォルニアへの移住などで、わずか1年ほどで自然消滅してしまうが、同人誌の出版が考えられていたこと、後に『NY文藝』の中心的存在となるあべよしおと秋谷一郎が積極的に活動していたことなどは、『NY文藝』の創刊へと繋がる動きである。

最後に、ニューヨークにおける英語で書かれた日系文学について触れておきたい。ドイツ人の父と日本人の母を持つサダキチ・ハートマン(Sadakichi Hartmann)(1867-1944)は日本生まれの一世で、日系英語文学のパイオニアの一人であるが、1880年代からニューヨークなどを活動の場として多数の著作を発表し、美術評論家、劇作家、詩人、随筆家としてアメリカの美術や文学の世界に影響を与えている。

戦後の動きとしては、マンザナ収容所からニューヨークへきたチエ・モウリ(1915-)が『バンドワゴン』(Bandwagon )にエッセイと詩を書いている。この雑誌は1949年に発足した二世唯一の政治組織「二世プログレッセブズ」の機関誌で、組織そのものはその後、マッカーシズムの影響を受けて間もなく解散したが、モウリは編集委員の一人であった。また、1989年に『スシとサワードウ』(Sushi and Sourdough: A Novel )を出版し、現在ニューヨーク在住のトオル・カナザワ(1906-)も『バンドワゴン』の編集委員であり、当時、政治色の強いエッセイを書いている。帰米二世の詩人・古田草一(1927-)は英語で詩を書くが、彼が最初の詩集を出版したのは1980年である。

その2>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

Japanese literature literature New York (state) Ny Bungei (magazine) postwar United States World War II
About this series

Many Japanese-language magazines for Japanese Americans were lost during the chaotic times of war and the postwar period, and were discarded because their successors could not understand Japanese. In this column, we will introduce annotations of magazines included in the collection of Japanese-American literary magazines, such as "Shukaku," a magazine that was called a phantom magazine because only the name was known and the actual magazine could not be found, as well as internment camp magazines that were missing from American records because they were Japanese-language magazines, and literary magazines that were also included by postwar immigrants.

All of these valuable literary magazines are not stored in libraries or elsewhere, but were borrowed from private collections and were completed with the cooperation of many Japanese-American writers.

*Reprinted from Shinoda Satae and Yamamoto Iwao, Studies on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines (Fuji Publishing, 1998).

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About the Author

Professor Emeritus at Ritsumeikan University. Specializes in Japanese American and Canadian literature. Major works include co-authored Reading Contemporary European Literature (Yuhikaku, 1985), co-edited Anthology of Japanese American Literary Magazines, 22 volumes in total and 1 supplement (Fuji Shuppan, 1997-1998), co-authored Postwar Japanese Canadian Society and Culture (Fuji Shuppan, 2003), co-edited Japanese Culture in North and South America (Jinbun Shoin, 2007), and co-translated Collected Works of Hisae Yamamoto: Seventeen Characters and 18 Other Pieces (Nagundo Phoenix, 2008).

(Updated January 2011)

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