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ハリウッドで30年以上活躍してきたメイクアップ・アーティスト  -カオリ・ナラ・ターナーさん- その2

>>その1

夫の指導で始めたメイク・アップ・アーティストの仕事がしだいに楽しくなった。順調に仕事をこなし、メイクアップ・アーティストスとしてのキャリアを積んでユニオンに正式加入したのは45歳の時。1980年代に人気を集めた映画「フラッシュダンス」でそのメイクアップの技術が注目を集め、2003年にはテレビドラマ「エイリアス」で日本人初のエミー賞を受賞した。そして、20年以上にわたるメイクアップ・アーティストとしての仕事を通じて著書にあるような華麗な「人の輪」も培った。

まさに海を渡った一人の女性の成功物語だが、どうして彼女が輝ける人生を切り開くことができたのか。もちろん自身が人一倍の努力をしたことは間違いない。夫をはじめ周りの人に助けられたこともあっただろう。しかし、ハリウッドという、まさに多文化・異文化の社会を生きぬく術を身につけたことも大きかったのではないか。

カオリさんは、子どもの頃に母からこういわれたことを忘れない。「自分がしてほしいと思うことを、人にもしてあげなさい」。そんなカオリさんだから、ちょっとした気配りが自然体でできるのだ。

メイクアップの仕事のかたわら、ブルース・ウィルスには昼食に鰹節ご飯をふるまって喜ばれた。ショーン・コネリーには日本から足のつぼを押す突起がついた靴下を取り寄せて贈った。ロバート・レッドフォードには背中を足でプッシュするアジア式マッサージで疲れをいやしてあげた……。

日本人でもアメリカ人でもない、人間は “ピープル”-中身です

――どんなことを心がけてハリウッドで仕事をしてきたのでしょうか。

カオリさん: 日本にいる時は、お母さんに言われたことを忘れずに、一番のダンサーになってお母さんを喜ばそうと。結婚したあとは主人の名を汚さないように頑張ってきました。夫も有名なメイクアップ・アーティストでしたから。主人が亡くなったあとも、ミセス・ターナーとして恥ずかしくない仕事をしてきました。

――ハリウッドの仕事は水にあっていたんですね。

カオリさん: 全部で70本の映画制作に携わりました。人間関係は、スターだからどうのというのでなく、人と人の付き合いですね。私たちメイクアップ・アーティストは、自分たちがスターを作っているというプライドがあります。ハリウッドには映画関係のユニオンはカメラマン、俳優、大道具、小道具、そしてメイクアップ・アーティストなど26にユニオンがあります。加入するには一定のキャリアが必要で、試験もあります。私はアクティビティ・リタイアメントという特別の待遇を受け、「ゴールドカード」をもらっています。一応、退職し年金をもらっていますが、仕事もまだできます。個人主義というより実力主義です。

――米国に約40年住んでいて、外国で生きていく心構えを聞かせてください。

カオリさん: 長くアメリカに住んでいて、日本人だからどう、アメリカ人だからどうということでなく、ピープル、人間は中身です。最終的に70歳を過ぎると、その人の生き様が出てきます。食べていけるか、いけないか。それにアメリカにいたら、自分のことは自分で責任をとらなくてはいけません。身を守るのも自己責任、外国に住む人のエチケットです。外国に住むならそれぐらいの覚悟がなければ。私は自分が死んだ時の葬式の仕方、サクラの木のお棺にいれるとか、全部決めています。私は自分で移民というつもりはないのですが、移民なんですかね。

――いまの日本をどう見ていますか。

カオリさん: 日本で木の緑の濃さなどをみると、ああ日本に帰ってきたんだとジーンとくることもありますが、日本人の笑顔の少なさが気になりますね。電車に乗っていても、あだ討ちをするような顔をして。余裕というか、笑顔がない。向こう(米国)はイクスキューズ・ミーと言って、ニコッと笑うでしょ。人に対する優しさという、日本人の持っていた良さが失われているのでは。

カオリさんは夫が亡くなって9年後の1999年に米国籍を取得した。年の半分は日本で暮らし、講演やテレビ出演、雑誌のインタビューなどに忙しい毎日を送る。これからは映画づくりに取り組みたい、という。「夢があれば、それに向かっていけるじゃないですか」。

物事に前向きに取り組むカオリさんの言葉の中に、多文化社会を生き抜く秘訣が隠されているように思う。(了)

*本稿は『多文化情報誌イミグランツ』 Vol. 3より許可を持って転載しています。

© 2010 Immigrants

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About the Author

Representative director of Immigration Information Organization Co., Ltd. Editor-in-chief of Immigrants, a multicultural information magazine published by the company. Joined the Mainichi Shimbun in 1974. Served as a reporter in the city affairs department at the Osaka headquarters, a reporter in the political department, editorial writer, etc. Retired in March 2007 as deputy editorial director. Served as an advisor to Wakayama Broadcasting System and a media consultant to the International Organization for Migration (IOM).

(Updated October 2009)

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