ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/north-american-times/

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史


2021年8月18日 - 2024年3月20日

北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。

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『北米時事』について 

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。



このシリーズのストーリー

第13回(後編) 二世の二重国籍と結婚問題

2023年6月12日 • 新舛 育雄

第13回(前編)を読む>> 在米二世への見方 在米二世が日本やアメリカからどう見られていたか、また反対に在米二世が日本をどのように見ていたかを語った興味深い記事を紹介したい。 1.日本の女子学生の見た在米二世 『彼女の見た二世』—在米邦人の祖国認識それは明治大正物です—」(1935年10月4日号) 「今夏、ポートランドで開かれた日米学生大会へ日本の学生代表として渡米した月本峰子嬢の在米二世に対する感想と云ふのが下のように伝えられて居…

第13回(前編) 二世の二重国籍と結婚問題

2023年6月11日 • 新舛 育雄

前回は国語学校についてお伝えしたが今回は第二世が成人していく中で起こった二重国籍問題と結婚問題についての記事についてお伝えしたい。 二世が誕生した時に、米国へ出生届を提出すると同時に領事館を通して日本へ出生手続きを行い、多くの二世が二重国籍者となった。二世は成人となり、どちらの国の国籍を持つべきか、又どちらの国の人と結婚するかという切実な問題に迫られた。 二世の出生届け  二世の数が増大していった1919年頃の出生届けについての記事があった。 「米国出生児童の入…

第12回(後編)国語学校での2世教育

2023年4月27日 • 新舛 育雄

第12回(前編)を読む >> 教科書問題 『北米時事』の1919年2月13日号1の記事には、国語学校で使う教科書について話し合いがもたれたことが記されている。 「シアトル国語学校にては兼て教科書編纂の議あり。学務委員会にてしばしば協議の結果当ワシントン州各地国語学校教師並びに維持会役員、学務委員等の意見を徹して最後の決定をなし編纂に決せば協同事に当ることゝなりたるより、一昨日実業倶楽部に於て州内15校当事者会を催したるが、出席者は8校を代表せる。 植村(スポ―ケ…

第12回(前編)国語学校での2世教育

2023年4月26日 • 新舛 育雄

第11回にお伝えした写真結婚から多くの日系2世が誕生したことで、アメリカで生まれた子供たちの日本語教育がシアトル日本人社会での課題になった。今回は、2世の日本語教育のために創立されたシアトル国語学校についてお伝えしたい。 シアトル国語学校創立 シアトル日本人会は1902年に、北米最初の日本語学校としてシアトル日本人会付属小学校を創立した。創立当時、生徒数は4人、教師1名だった。1908年にシアトル国語学校へ名称変更した。 校舎は日本人会の建物内にあり、その後にシアトル…

第11回(後編) 写真結婚の隆盛

2023年1月6日 • 新舛 育雄

第11回(前編)を読む >> 日本人の高い出生率 前掲の1939年1月1日号、中村赤蜻蛉の「メーン街盛衰記」の中で出生者数が激増した頃の様子をシアトル帝国領事館による同館領域内在住日本人についての数字を元に次のように語っている。 「1910年頃から約10年間は産婆成金の露出した時代で月々に生まれる同胞子女の数は素晴らしい数に上った。統計によると1910年の出生総数は267名であったものは、逐年増加して376名,461名,402名,477名,509名-といふ風に上が…

第11回(前編) 写真結婚の隆盛

2023年1月5日 • 新舛 育雄

前回は『北米時事』の歴史をテーマにお伝えした。今回は、1910年頃から隆盛を極めた写真結婚について、1918年から1920年頃の記事を紹介したい。 1900年に入った頃から、アメリカで日本人に対しての排日運動が激しくなった。日本政府はこれに対応して、1908年に日米紳士協約を米国と締結した。この協約によって日本人の米国移民が制限され、既に米国に移住していた日本人労働者の一時帰国も難しくなると、会うことなく交換した写真だけで結婚を決める「写真花嫁」のアメリカへの呼び寄せが激…

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このシリーズの執筆者

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)