ディスカバー・ニッケイ

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ニッケイがいた街


2013年3月5日 - 2013年6月26日

ターミナルアイランド、西南地区、そしてベニス。ロサンゼルス近郊の「かつては日系人の居住区だったエリア」を訪ね、往事の模様を証言者に聞くシリーズ。



このシリーズのストーリー

第3回(後編) ターミナル・アイランド

2013年6月26日 • 福田 恵子

前編 >>ターミナル・アイランド生まれ、サンペドロ育ち、和歌山にルーツを持つ日系二世の藤内稔さんは13歳から16歳まで収容所で過ごした。サンタアニータを経由し、コロラド州アマチで終戦を迎えた一家は、1945年9月にロサンゼルスに帰って来た。しかし、藤内さんの故郷、ターミナル・アイランドには何も残されていなかった。日本人同士が再度集まることがないようにと、米国政府がすべての日本人漁師たちの施設を破壊し、撤収したのだ。 職替えを余儀なくされた漁師たち 一世たちは自分の船…

第3回(前編) ターミナル・アイランド

2013年6月7日 • 福田 恵子

ある土曜日の午後、私はサンペドロ方面に車を走らせていた。ハーバー・フリーウェイの終点の少し手前の分岐点で、緑色のヴィンセントトマス橋の方へと進む。昨年の夏に有名な映画監督が飛び降り自殺をしたこの橋は、水面下からかなりの高さがあり、ロサンゼルス港を眼下に見下ろせる。進行方向右手にはターミナル・アイランドが広がっている。ここは戦前、3000人もの日系一世と二世が暮らす漁師村だった。 戦争が始まると、彼らは強制的に収容所に送られた。今では、2002年に海沿いに建てられた記念碑だ…

第2回 ベニス

2013年5月14日 • 福田 恵子

かつてはロサンゼルス日系社会の中心であったにもかかわらず、ワッツ暴動の後に潮が引くように日系人の人口が激減してしまった西南地区。続いて訪れたベニスは、この西南地区とはかなり様相が異なる。なぜなら、現在もコミュニティーセンターや本願寺を中心とした日系コミュニティーが確実に形成されているからだ。往時に比べて人口が減少したことは事実だが、今もこのエリアにおける日系の団結力は強い。その秘密を、生まれてからほとんどの年月をここで過ごして来たペリー・ミヤケさんに聞いた。 収容所から戻…

第1回(後編) ロサンゼルス西南地区(クレンショー・ディストリクト)

2013年3月26日 • 福田 恵子

前編を読む>> 一体、西南地区の日系人はどうしてどこに消えてしまったのか? その問いに、西南シニアセンターのプレジデントである柴邦雄さんが答えてくれた。 「私が思うに、ワッツの暴動が一つのきっかけになったように思います。あの暴動は街がまるごとなくなってしまうほど激しいものでした。最近の人は、暴動と言うと、1992年に起こったロサンゼルス暴動を思い浮かべるようですが、ワッツとはまったく規模が違う」 ワッツ暴動とは、1965年に西南地区にも近いワッツ市(現在はロサンゼル…

第1回(前編) ロサンゼルス西南地区(クレンショー・ディストリクト)

2013年3月5日 • 福田 恵子

ある時、友人からデジタルカメラに残った写真を見せられた。海辺の陽光を背にして建つ鳥居。「これ、どこだと思う?(ロサンゼルス郊外の)サンペドロとロングビーチの間にあるターミナルアイランド。あそこには昔、日本人の街があったんだってね。この鳥居はその名残なんだって」 ターミナルアイランドのことは聞いたことがある。戦前、和歌山県から移民して来た漁師たちの街がそこにあり、小学校まであったそうだが、今はもう日本人だけでなく、人が住む場所ではない。 今、ロサンゼルス近辺に居住する日系…

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このシリーズの執筆者

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)