米国で生きる日本人の選択

米国と日本の間で生きる日本人に、永住権取得や日本への引き揚げなど、人生の選択についてインタビュー。

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1991年渡米、日米に拠点を置く生活 ー 清水瑛紀子さん

渡米当時の覚悟は「絶対に日本に戻らない」

清水瑛紀子(あきこ)さんは1990年代からアメリカと日本で活動している風水コンサルタントだ。もともとの仕事はIT関係。日本からドイツ勤務を経て、1991年以降、アメリカで生活していた。しかし、現在は主に日本を拠点にして、ロサンゼルス郊外の住まいに時々戻ってくるという生活スタイルだ。19歳の時に初めて来たアメリカに自由と可能性を感じ、アメリカに住みたいという願いを実現した彼女だが、再び日本に拠点を定めた理由と、日米を往復する中で見えてきたことについてzoom取材で聞いた。

「若い頃の自分は、日本ではブラックシープのように感じていました。日本は皆に合わせないといけないし、女性…

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滞米40年後の京都暮らし — ラナ・ソーファーさん

日米を往復するきっかけは米国の政治情勢の変化

ラナ・マリコ・ソーファーさんが渡米したのは1975年。ラナさんは、ロサンゼルスを拠点に主に機内上映の映画の字幕、さらには吹替の制作に長年携わってきた。私の自宅から近いこともあって時々、一緒にランチする仲だったが、そんなラナさんが京都にも拠点を設けて日米を行き来していることを知ったきっかけはSNSだった。聞けば、2017年に彼女は転機を迎えていた。

「まず、長年ロサンゼルスで生活していた姉がポルトガルに移住することを決断しました。もともとヨーロッパに仕事で行くことが多かった彼女は、いつか現地に住んでみたいと思っていたようです。ちょうどその頃、トランプ政権になったアメリカ…

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アメリカに残る人々が日本に引き揚げない理由

子どもの存在、医療、言葉

移住したアメリカから日本に引き揚げた人々に話を聞き、さらに一度は日本に帰国したが改めてアメリカに戻ってきた人の回に続き、アメリカを終の住処と決めた人々にも彼らの決断について聞かせてもらった。

在米50年になる70代男性Tさん。アメリカで語学を勉強し、日本に戻ったら映画評論家になろうと思っていたと話す。しかし、渡米3年目、父親が亡くなった。「母親はすでに私がアメリカに渡る前に亡くなっていたので、親がいない日本にもう戻る理由はないという気持ちになりました。そこで勤め先にスポンサーをしてもらいグリーンカードを取得し、結婚をして、子どもが3人生まれました。若い頃は日本に帰りたいだとか深く考えることは…

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31年間の米国生活から日本に引き揚げた後永住権を再取得した徳留絹枝さん

子どもの将来考え永住権取得

様々な理由で米国暮らしの後に日本に引き揚げたり、またアメリカに残る選択をしたりする新一世の話を聞くうち、一度日本に引き揚げた後に再びアメリカに戻ってきた人の話も聞きたいと思うようになった。そんな時、2019年の夏にオレンジ・カウンティーのアーバインで開催されたセミナーで、偶然再会した徳留絹枝さんのことを思い出した。徳留さんはユダヤ人と日本人の関係に焦点を当てた著書で知られる活動家(私はジャーナリストだと思っていたが、徳留さん本人は活動家と紹介してほしいと言う)で、再会した時「日本に一度帰っていたんですが、またアメリカに戻ってきました」と話していたのだ。再会から1年以上経ったコロナ禍の中、私は…

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永住権当選から18年後の現在地 — 中島恒久さん

時給7ドルからのアメリカ生活

サンフランシスコ近郊のIT企業でCOOを務める中島さんと知り合ったのは、某日系ビジネス団体の会報向けの取材だった。取材後に彼のプロフィールをまとめるために名前で検索した。すると、てっきり日本からの駐在員だと思っていた中島さんが実は、同時多発テロ事件直後に永住権抽選プログラムでグリーンカードを手にし、自力で渡米した人だということが分かった。最近は狭き門となっている同プログラムだが、当選後にアメリカに移住した人たちのその後を知りたいと思っていたこともあり、改めて取材を申し込み、話を聞かせてもらった。

中島さんがアメリカを意識し始めたのは、高校生の頃、夢中になったジャズ音楽がきっかけだった…

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