梅子と筆子のシカゴ
日本の女子教育家で津田塾大学の創始者である津田梅子のことは、日本人の誰もが知っていると言っても決して過言ではなかろう。梅子はシカゴに2回やってきた。
梅子が初めてシカゴに足を踏み入れたのは1872年2月のことである。100人を超える岩倉使節団がシカゴにやってきたときだ。使節団には5人の少女が含まれていたが、梅子はそのうちの一人で、最年少の8歳だった。地元紙は、少女たちのことはほとんど話題にしなかった。
というのも、シカゴに来るまで、付き添いのアメリカ公使デロング夫人は、少女たちの着物姿で話題をさらおうとして、少女たちが洋服を希望しても、なかなか洋服を買ってやろうとはしなかった。業を煮やした少女たちは、とうとう岩倉…