ブラジル国、ニッポン村だより

ブラジルサンパウロ州奥地の小さな町の日系社会。そこに暮らす人びとの生活ぶりや思いを、ブラジル日本人移民の歴史を織り交ぜながら、15回に分けて紹介するコラムです。

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日本人移住地の話(1)ーどっちを向いても日本人

「きょう町で外人をみたわ!」

小学生だったTAさんは、ある日学校から帰るなり息せき切っておかあさんにそう報告した。TAさん、もう80歳は越えているはずだから、そんなこ とがあっても不思議はない。地方の県庁所在地に暮らしていた私にとって、たまに見かける外国人が目を離せなくなるほど珍しい存在だったのもやはり小学校の 低学年の頃だった。その私の年齢がTAさんのおよそ半分でしかないことを思えば、むしろその当時ならだれでもが経験するようなことだったろう・・・日本で だったら。

もちろんここで日本の昔話をしようというのではない。TAさんは、これをブラジルで経験した。

TAさんが暮らしていたのは、いったいどんなところだったのだろ…

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サンパウロ州の牧草地の広さとその理由

その気になればすぐに海岸線まで出られる土地に長く住んできたので、サンパウロ州内陸部の、海まで600キロはあろうかという町で暮らすことが、自 分の気持ちにいったいどんな影響を及ぼすものだろうという興味があった。たとえば海が懐かしくてうずうずし、いてもたってもいられなくなるとか。


しかし実際には、なんとなくおさまりがよくて、たまに「いやあ、海が見たいですねえ」などと言ってはみたもののなんということもなかった

それでも、子供の頃から頭に焼き付いたいろんな海の風景があるせいだろうか、ふとした景色を海と錯覚することがあった。

景色と言っても、それはサンパウロ州の奥地とサンパウロを結ぶ幹線道路を、真夜中に疾走する長距離バスの窓から…

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大宅壮一の「名言」をめぐって

大宅壮一というジャーナリストがいた。昭和を代表するジャーナリストのひとりと言ってよいと思うが、政治から社会風俗まで広範な仕事に携わってい て、耳にした人の多くが、なるほどうまいこと言う、と唸るような、物事の本質を的確に捉えた名言をいくつも残した人だ。毒舌家、という評価もある。

たしか、「明治を見たければブラジルへ行け」だったと思う。その大宅壮一が戦後ブラジルの日系社会を訪れた時に発したという言葉だ。戦後とはいってもずい ぶん古い話になるはずだが、日系社会のなかにはまだこの言葉を持ち出す人が時々いる。うまいこと言われたなあ、という思いがやはりあるのだろう。

「明治」とは感じないかも知れないが、今はじめてブラジル日系社会と接…

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カデイアと日本人移民

第二次世界大戦中北米の日本人移民が、収容所生活を強いられたことは広く知られている。移民先国と祖国が敵同士となったのはブラジル日本人移民も同 じだ。ブラジルには収容所こそなかったが、やはり敵国人としての扱いは受けた。戦争中から戦後の一時期まで、ちょっとしたことでカデイア(監獄)行きとい うことも珍しくなかった。

戦争中のある時期、日本語は禁止されていた。

日本語禁止というのは、日本語をしゃべってはいけないということだ。しゃべってはいけない、というのは、しゃべったら注意や譴責を受けたという程度の話ではない。日本語を使ったところを警察に見つかったり密告されてカデイアに入る羽目になったひとは少なくない。

ブラジル日系社会のお年寄…

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ワラと松と竹-ブラジル日系社会で新年を迎える

サンパウロから500キロ離れた小さな町。12月にはいると、いつも7時には早々閉めてしまう商店が遅くまでやるようになる。

街の中心の辻々には、財政が厳しいなか、市役所が提供したという、小さいながらも凝ったデザインのクリスマスツリーが配置されている。

通りを横切って幾重にも渡された点滅灯の線と電飾の数々、巨大なスピーカーから流れてくる地元ラジオ放送の大音響のなか、家族やカップル、友人同士でそぞろ歩く大勢の人を眺めていると、ここが人口わずか2万ちょっとの町だとは思えないほどのにぎやかさだ。

にこにこと笑っていない顔はない。笑っている理由を尋ねられてはっきり答えられる人は少ないだろう。誰かが笑い、それを見た人がつられて笑顔になり…

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