「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
1960年代はじめ、全米を取材して日系社会のルーツである初期の日本人移民の足跡をまとめた大著「米國日系人百年史」(新日米新聞社)が発刊された。いまふたたび本書を読み直し、一世たちがどこから、何のためにアメリカに来て、何をしたのかを振り返る。全31回。
このシリーズのストーリー
第25回 東北中央部諸州の日系人
2015年7月24日 • 川井 龍介
「百年史」では、第十九章として五大湖周辺のオハイオ州、インディアナ州、ミシガン州、ウィスコンシン州の4州のなかの日本人、日系人の足跡、活動についてまとめて紹介している。本書ではオハヨー州、ミチガン州と表記されているが、ここではオハイオ、ミシガンとする。 4州まとめて約10ぺージなのでかなり少ないが、そのうち6ページをオハイオ州が占めている。 オハイオ州のなかではクリーブランド市、ついでシンシナチ市に少数の日系人が居住している。そのほどんとが会社や工場への勤務で、農業はほ…
第24回 イリノイ州の日系人
2015年7月10日 • 川井 龍介
イリノイ州はIllinoisと表記するが、これをそのままローマ字的に読んだのか、「百年史」では、第十八章「イリノイス州」と表記している。英語をカタカナに表わすのに決まった法則があるわけではなく、また、英語を漢字に置き換える仕方も決まりがあるわけではないようなので、百年史でも今日では使われない表記がある。イリノイ州の代表的な都市はシカゴだが、これは市我古と表記されることがある。 さて、「百年史」イリノイ州の章では、シカゴ市やその近郊の日本人、日系人の足跡をまとめている。 …
第23回 中央部五州の日系人
2015年6月26日 • 川井 龍介
「百年史」では、カリフォルニアなど西海岸の諸州では多くのページを割いていたのが、アメリカ中央部の州ともなると、日本人の足跡や実績は少ないのか、あるいは情報も少ないのか、きわめて限られたページで紹介しているに過ぎない。 「第十七章 中央部五州」として紹介されているのは、北からアイオワ(Iowa)、カンサス(Kansas)、ミゾリー(Missouri)、オクラホマ(Oklahoma)、アーカンソー(Arkansas)の5州である。 5州とも戦前の日系人の人口は統計によると、…
第22回 中央北部三州の日系人
2015年6月12日 • 川井 龍介
中央北部三州とは、ミネソタ(Minnesota)、南ダコタ(South Dakota)、北ダコタ(North Dakota)の三州を指している。百年史では、第十六章で10ページを割いている。 ミネソタ州 「一八九三年のシカゴ万国博開催以前に、田中楠太郎経営の百貨店「起立工商会」や「関西貿易商」と呼ぶ日本人商店がセントポールに在り、松原重栄らが営業にあたっていたというからずいぶん古い話である」と、日本人のこの州でのさきがけについて触れている。 日本絵画など美術品を扱って…
第21回 テキサス州の日系人
2015年5月22日 • 川井 龍介
「百年史」は、「第十五章テキサス州」に36ページを割いている。ここで紹介されている日本人は、他のたいていの諸州の章に登場するこれまでの日本人移民と、その活動の内容が異なる。テキサスでは、出稼ぎ労働者的な移民もいるが、際立つのはおもに米作のために、日本から資本を投下して入植地を作ろうとする試みである。 入植事業にかかわったものをはじめ、初期の移民のなかで目立った活動やユニークな例などをエピソードを交えて読者をひきつけている。 こうした例を、いくつかまとめて再録するが、その…
第20回 ネブラスカ州とニューメキシコ州の日系人
2015年5月8日 • 川井 龍介
ネブラスカ州 ネブラスカ州は平野が多く、地味豊沃で農業や畜産に適している。おもな産業は農業で、穀物、果物、野菜、砂糖大根、牧草など多種類で、馬の名産としても知られる。州都のオマハは製造業が盛んである。 この州に本格的に日本人が移住してきたのは、1904年で、岡島金弥によってオマハの缶詰工場に約120人が送り込まれたのが最初とみられる。 そのほかの移住者としては、UP鉄道、バーリントン鉄道の沿線に、集団で送り込まれたものがいて、その後、付近の農園で働き、なかには農業家と…