
1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。
子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。
(2023年5月 更新)
この執筆者によるストーリー

パンデミックのさなかに見たコミュニティの絆 - その2
2020年7月22日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
その1を読む >> 懐かしい日本の歌との再会 ステイホーム中、友人と日本のテレビ番組や日本の歌謡曲のビデオなどのやり取りを良くするようになりました。私のスマートフォンに届いた最初の動画は「上を向いて歩こう」でした。私は坂本九の歌声を聴き、とても懐かしく感じました。なぜなら、この歌は私が2001年から2007年まで司会を続けたラジオ番組のテーマソングだったからです。毎朝、あの美しいメロディと歌詞をバックに「オハヨウ・ボンディア」と、視聴者に挨拶をし、数々の日本の歌を紹介し…

パンデミックのさなかに見たコミュニティの絆 - その1
2020年7月21日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
ロンドリーナでの新しい生活 生まれ育ったサンパウロを離れ、パラナ州ロンドリーナ市へ移る決心をしたのはちょうど1年前でした。退職して19年が経ち、私ももう73歳。いろいろと考えた結果でした。 ロンドリーナに引っ越すことにした理由は、私のルーツが辿れる場所だからです。ここには母方の祖父が汗を流して作り上げた農園が「Jardim Honda」という都市区画になって残っていますし、母が青春を過ごし、結婚後両親が暮らし始めた町でもあります。親戚は少ないのですが、母方の叔父の奥さん…

第三十三話 「カレンが日本へ戻らないって」
2019年8月30日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
高校生だったトシエは、同級生のイヴァンと結婚し、その5ヶ月後に双子の赤ちゃんを産んだ。当時19才だったイヴァンは大学進学を諦め、スーパーのレジ係、自動車部品店店員、タクシードライバーなど、職を転々とした。しかし、家計は苦しく、家族を残して日本へ出稼ぎに行った。 双子のカレンとカリナはすくすくと育ち、3才になった。家族全員で一緒に暮らすため、子供を連れトシエも日本へ行くことにした。今まで一度も働いたことがなかったトシエだったが、夫と同じ工場で働くことになった。自分たちが働い…

第三十二話 たった5ヵ月のデカセギ生活
2019年7月15日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
マリには子供がいなかったため、夫を早く亡くしてからは仕事一筋だった。 専門学校卒業後、小学校の教員として働きながら大学を終えた。大学で知り合った夫は、「多くの子供に勉強の楽しさを知ってもらいたい」と、マリと同じ志を持っていた。二人は結婚し、その後マリは、隣町の中学校で数学を教えながら、夫が経営する塾を手伝った。 11年後、夫は交通事故で亡くなってしまった。「今からひとりで子供たちに教えていけるだろうか」とマリは悩んだ。 先生を続けるのをためらっていると、「何を言ってる…

第三十一話 ユウジは偉い!
2019年6月10日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
ユウジと僕は幼なじみ。小さい頃からずっと一緒で、家も近かった。学校帰りに2人で道草を食い、家に帰ってよく叱られたもんだ。 小学校は一緒だったが、中学生になると僕は私立校へ通うことになった。日本へ出稼ぎに行っていた父の仕送りのおかげで生活は安定し、僕と妹は私立校へ通い、母はパートの仕事をしなくてもよくなった。 学校は違っても、週末には、必ず、ユウジと一緒にサッカーをしたり、流行っていたゲームをやったり、アニメを見たりした。 しかし、それも束の間だった。ある日、学校から帰…

第三十話(後編) ジョアナの大冒険
2019年5月22日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
前編を読む>> 生まれ育った農村から一度も離れたことがなかったジョアナは、49歳の時、娘のルイーザがサンパウロの看護学校に通うことになり、落ち着くまでの間、サンパウロに一緒に住んだ。 郊外に小さな家を借りて、満員のバスで通勤した。娘のためにと、慣れていないことにもいろいろと挑戦した。田舎とは全く違う都会の生活は、ジョアナにとって大冒険だった。 半年後、ルイーザは二人の先輩と同居するようになった。ジョアナは自分の役割は果たしたと、安心して田舎に戻り、再び畑仕事と家事の生…

第三十話(前編) ジョアナの大冒険
2019年4月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
子供の頃からジョアナは働き者だった。朝早くに両親と兄3人で畑へ出かけ、11時半に家に戻り、2人の弟と昼飯を食べてから学校へ一緒に通った。 あと3ヶ月で小学校を卒業するという時、母親が重い病気を患った。ジョアナは看病しながら、母親の分の畑仕事もしなければならなくなった。そのため、学校には行けなくなったが、家族のためだと思い、懸命に畑仕事と家事をこなした。 18歳になると隣村の農家に嫁ぎ、すぐに3人の子供に恵まれた。午前中は義母に子供を預け、義父と夫と一緒に畑へ出かけ、午後…

日本の音楽と私
2018年10月11日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
私は8歳のとき、しばらく日本語学校に通っていましたが、学芸会での唯一の思い出は、学生たちが保護者と教師の少数の聴衆の前でミュージカルや演劇を披露したことです。クラスで最も優雅な女の子は常に歴史上誰もが欲しがるお姫様の役割を引き受け、音楽の才能のある人たちは伝統的な童謡を歌いました。私はお姫様に選ばれたわけでも、歌が上手でもなかったのですが、「みかんの花咲く丘」という大好きな曲があり、学芸会の日に披露しようと家でリハーサルを始めました。 -カイ。でもそれはただの願望で、先生に…

第二十九話 デカセギの歌
2017年8月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
エリックとエミリーは双子の兄妹。5歳のときに両親が離婚し、父親がふたりを引き取った。その2年後、父親が日本へ働きに行くことになり、父方の祖父母がブラジルでふたりの面倒を見ることになった。 祖父は日本食品店、祖母は美容室をそれぞれ営んでいたので忙しかったが、エリックとエミリーは愛情たっぷりに育てられた。 日系二世の祖父母は日本の歌が得意で、エリックとエミリーは小さい頃から日本の童謡や歌謡曲を歌っていた。 エミリーは地元のちびっ子のど自慢大会に出たこともあったが、エリック…

第二十八話(後編) 27年ぶりの里帰り
2017年4月24日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
前編を読む >> シバタ・マサヒロ、46歳、日本での生活は25年。生まれ育ったプレジデンテ・プルデンテに戻ったのは27年ぶり。 町は思っていたより変わっていなかった。「自分のことなど覚えている人なんて、もう居ないだろう」と思いきや、誰かが声をかけて来る。 「あんた、わしのこと覚えてる?キヨシのばあちゃんだよ」 「まぁ、ちっとも変わっておらんね!」 「『ファミリア1』も一緒?」 「どう?プルデンテはあれから変わったでしょう?」 「日本の方と結婚したんですってねぇ…
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